第36回特集展示 「西宮の後期古墳」
2011年11月29日(火)~2012年1月29日(日) 西宮市立郷土資料館
12月21日(水)の歴史講座「古墳時代後期の武庫郡」を聴講して展示を見た感想ご紹介します。
古墳と言えば大阪の仁徳天皇陵や神戸の五色塚古墳のようなものが思い浮かぶので、
西宮にそんなものがあったとはちょっとイメージしにくいのですが、今回の展示と講座は西宮に
どんな古墳があるか知ってもらうという、そんな私にとってまさにぴったりな内容でした。
まず古墳時代とは、弥生時代の次で飛鳥時代に続いていく3世紀中頃から7世紀ごろをさし、
古墳の形式などによって前期・中期・後期(・終末期)に分けられているそうです。
前期は箸墓(はしはか)古墳(卑弥呼の墓?)などあり、竪穴式石室に鏡や玉類を副葬していました。
中期は仁徳天皇陵などで、竪穴式石室に武具を副葬したりはにわを並べたりして、平地に
権力を誇示するような大型のものを作るようになってきました。
後期は石舞台古墳(蘇我馬子の墓?)の頃で、横穴式石室に馬具や須恵器(すえき)を副葬し、
丘陵地帯に小さいものがたくさん集まって作られるようになります。
と、基本的な変遷を教わったところで西宮の古墳はと言うと、ほぼ後期古墳しかないそうです。
ただ今はもうない津門稲荷山古墳からはにわが出土しているそうなので、もしかしたらそれは
中期古墳に分類されるかもしれないそうです。
八十塚古墳群(苦楽園)、五ヶ山古墳群(仁川)、門戸天神裏古墳(門戸)、具足塚古墳(上ヶ原)、
関西学院構内古墳(上ヶ原)など、いくつかの古墳の発掘の様子の写真を見せてもらいながら
横穴式石室の石組みの様子や出土品についてなどの説明を聞きました。
横穴式石室と言うと、たとえるならまず入り口を入ると廊下部分があってその奥に廊下幅よりも
幅の広い部屋があってそこに棺を納めるものと習った気がします。
でも八十塚古墳では、棺を納める部屋が特に広いわけではなく一定幅の廊下の突き当たりに
埋葬するような、単なる長方形の石室なのだそうです。
また、横穴式だと何回も出入りすることが出来るので後から亡くなった人も同じ石室に
埋葬しますが、その際先に埋葬された人のための副葬品の須恵器などは新しい棺の
置き場所を作るために壁の隅のほうへ積み上げて片付けてしまったりするそうで、先人を
敬って大切に扱うというわけでもなかったというのはちょっとビックリです。
その副葬品の須恵器ですが、展示室にもたくさん展示されている灰色の焼き物のことです。
当時は和泉の陶邑(すえむら)というのが須恵器製造の一大拠点で近畿圏内で使われる
大部分の須恵器の既製品を量産していたということになるのですが、でも西宮の後期古墳から
出土する須恵器はその形式とは違っているそうです。
だとすると西宮周辺のどこかにこの特徴を持った須恵器を焼いた窯があるとも考えられますが
今のところそんな跡は見つかっておらず、謎だそうです。
この下の写真の右奥の三角くりぬきのある大きな須恵器は器台(きだい)という、上に別の器を
乗せるための道具の一部だそうです。
門戸天神裏古墳から出土したというものがずっと収蔵庫にしまわれていて、展示されるのは
今回が初めてだそうで、割れた破片をつないで復元してあるものですが、こんなに大きなものも
出土してるんですね。
古墳の分布地図を見ると宝塚・西宮・芦屋・神戸にかけての丘陵部にかけて○○古墳群と言う
場所がたくさんあるのがわかりましたが、西宮の古墳は私有地にあることが多く気軽に
見学するということは出来ないようなのが残念です。
でも苦楽園や門戸天神社の近くで、ここに古墳があったのかとか古代の人が住んでいたかも
と思いながら歩いてみるのも面白いかもしれないなと思いました。