尼崎藩大庄屋高井家と六甲修験

2015年6月10日(水)の歴史講座 「尼崎藩大庄屋高井家と六甲修験」
を聴講した感想ご紹介します。

これは宮水学園自主グループ「ミレニアム2000西宮」と西宮市立郷土資料館が
共同で開催している講座で、学芸員が現在研究中の事柄について進捗状況を
紹介するという速報的な内容のもので、今日の講師の早栗学芸員はここ数年
「六甲修験(ろっこうしゅげん)」をテーマに何回か話をしています。

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六甲修験とは役小角が開いた修行場のひとつとされていて、鷲林寺地区から
東六甲を上り石の宝殿へ、さらに尾根伝いに西六甲の蜘蛛の岩三国岩などの
修行場を通って唐櫃村(神戸市北区)へ至るという修行形態です (「住村誌」
昭和21年刊より)。
そして尼崎藩野寄組大庄屋(野寄地域付近の庄屋を取りまとめる役職)の
高井家は現在の神戸市東灘区岡本のあたりの有力者で、それが六甲修験との
かかわりはどのようなものだったのか調べているということでした。

野寄でのお祭り「オトー」には摩耶山から僧侶を招いて祈祷をしていたり、
今も岡本にある明王院は摩耶山天上寺の塔頭であったものが江戸時代末に
現在の位置に移転されるなどのつながりがあります。
史料をさらにさかのぼると、高井家に伝わる永禄11(1568)年の文書のなかに
当時奈良の春日神社の荘園であったこの地域の中に「まや免」という土地
(春日神社に納める年貢は免除する摩耶山のための土地、の意か)があったという
記録もあり、岡本地区と摩耶山天上寺には深いかかわりがあったとみられます。

また神戸市中央区の春日野道とはこのあたりにあった春日神社への参詣道だった
という由来もあり、摩耶山はちょうどその北に当たるため、春日神社との
つながりも含めて考えてみると面白いのではないかということでした。

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現在も行われている明王院や摩耶山の柴燈護摩の行事の様子を見せてもらい、
今でも山伏が祈祷をする祭りが残っているんだなと興味深く話を聞きました。

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次回の歴史講座
観天望気ー自然とつきあう知恵と祈りの伝承についてー
8月12日(水) 13:30~15:00  要申込
http://www.nishi.or.jp/contents/0002446200040004800699.html

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