第35回特集展示 「巡礼と石仏―甲山八十八ヶ所―」
2011年9月10日(土)~10月30日(日) 西宮市立郷土資料館
10月19日(水)の歴史講座「甲山大師道」を聴講して展示を見た感想ご紹介します。
甲山の神呪寺(かんのうじ)の南側の小山の中にある四国八十八箇所の写し霊場は
江戸時代中期の寛政10(1798)年につくられました。
一般庶民の四国八十八箇所への参詣が広まりだしたのは江戸時代初期ごろのことです。
ただ四国まで行くのは遠いし巡礼にも40日以上かかるそうなので、近くに代わりの巡礼地があれば
ということから、江戸中期から昭和初期にかけて全国に写し霊場が作られるようになったようです。
写し霊場は小豆島や知多のように数日かけて広い地域の寺やお堂をめぐる大規模なものから、
甲山のように寺の裏山などに石仏がまつられていて半日から一日ほどで参詣できるもの、
さらに東光寺のように寺の境内の一角に石仏がまとまっている小規模のものなどいろいろです。
甲山八十八箇所の石仏は本尊と大師像がそれぞれ別に作られて一対にまつられているのが
基本的な形式で、材質は本尊は主に花崗岩で、大師像は主に砂岩です。
仏像の乗る台石には寄進者の名前などが彫られているものもありますが、年号のないものが多く、
神呪寺に残る寄進者名簿などとも比べながらいつごろ作られたものなのかなど、研究することは
まだまだたくさんあるそうです。
この甲山八十八箇所や神呪寺へ向かう道が甲山大師道というわけですが、今残されている
道標を元に考えると、主に3本の道が考えられます。
ひとつは近世(江戸時代)に作られたと思われる梵字入りの丁石のルートで、おそらくは
西国街道を京都から下ってきて仁川方面から山へ向かう道(参詣道参照地図・青ルート)。
現在は関学の裏のあたりの十三丁から上ヶ原浄水場横を十一丁・九丁、
森林公園内を八丁・七丁・四丁、バス道へ出て三丁、山門下の一丁が残っています。
もうひとつは近代(大正頃か)と思われる、広田・六軒方面からの道(参照地図・赤ルート)。
六軒町に大正8年の道標、甲山大師道を登ると十三丁、甲陽園通りとの交差点に大正9年の
道標があり、もと播半の前の道をあがっていくと六丁・四丁・二丁、山門の前に一丁。
さらに甲陽園通りの交差点のもうひとつの大正9年の道標から西へ進むと甲陽園の一番坂に
吉田長蔵さんの名前の入った道標の立っている道もあります(参照地図・緑ルート)。
大正9年は阪急神戸線が開通して西宮北口駅と夙川駅が出来た年なので、それを機に
甲山八十八箇所への参詣がブームになったのかもしれませんね。
道路の整備などで失われてしまったものや、今残っているものでも本当に昔あったままの位置に
あるのかなども疑問ですが、自分の足で参詣道から八十八ヶ所を巡ってみるのもいいですね。
甲山大師への参詣道 参照地図
この展示に関連した歴史ハイキング「西国街道から大師道」が2011年10月22日(土)にあります。
午前9時30分阪急夙川駅出発~午後3時神呪寺山門解散予定です。
http://www.nishi.or.jp/contents/00014500000400048.html