えべっさんが鳴尾の漁師に拾われて西宮にやってきた西宮神社の由来は有名ですが、
御伽草子の中にも西宮のえべっさんの出てくる話があるそうです。
その「かくれ里」(岩波文庫『お伽草子』より)を私が読んだなりの現代語訳であらすじを
ご紹介しますので、意訳誤訳があることをご了承の上お読みください。
秋の月明かりに誘われて、洛中から南へそぞろ歩き木幡(こばた)の野辺あたりへ来た人が
話し声が聞こえる大きな穴の中にこっそり入ってみると、ネズミの住む隠れ里へたどり着いた。
そこは陽が射し川が流れていて、向こうには唐門のある立派な屋敷が並び、その奥の台所には
鍋釜桶がいくつもならび魚鳥兎にあふれる酒、庭の造りもすばらしく、浮世の外なるかくれ里にも
こんなところがあろうとは全く知らなかった、と眺めていると、早馬が着いて口上を述べる・・・
その口上が、恵比須とけんかするから集まれ、という大黒からの呼び出しだったわけで、
このあといよいよ恵比須大黒合戦のお話がはじまります。
むかしむかし、摂津国の西宮に住むネズミがいました。
このネズミがある日恵比須さまのお供物を盗んだところ、狛犬がこれを見つけとても怒りました。
ビックリしたネズミは逃げ回っていたら古井戸に落ちてしまいましたが何とか井戸をのぼって
家に帰り着きました。
家に帰ったネズミは「西宮神社の拝殿あたりであちこち遊んでたら、狛犬が背中を噛んだんだ」
とうそを言って泣き叫んだので、親ネズミは「こんなちっちゃいネズミに噛み付くなんて、狛犬も
大人気ない。」と若者ネズミ2~300匹を引き連れ仕返しに神社の建物をかじりに行ったのでした。
これを聞いた恵比須さまはとても怒り、狛犬に一匹残らず退治しろと命じてわなを作らせました。
ほとんどのネズミがわなにかかる中、何とか逃げ帰ったネズミはわずか5~60匹ほどでした。
親を失い子を殺されたネズミたちは、どうやって恵比須さまに恨みを晴らそうかと相談し、
恵比須さまが明日茶会を開くということを知って、それを邪魔してやることにしました。
掃除して清められた茶室にゴミをまきちらし、茶道具にはおしっこをかけたりへし折ったりしたので、
お茶会が開けないようになってしまいました。
これを知った恵比須さまはとても怒り、
「なんてことをするんや、ネズミどもを全部打ち殺しでもせんと腹が立つのがおさまらへん。
このことを比叡山の大黒さんへ申し入れて悪さするネズミを退治してもらおう」
と、狛犬を比叡山へお使いに出したのでした。
恵比須さまからの口上を聞いた大黒さまは
「うーん、なんで私が召し使ってるネズミたちがそんなことするんか、よぉわからんけどなぁ。
でも、壊した茶道具は弁償するから堪忍してな」
と、打出の小槌を振り、こわされた茶道具よりさらに立派な名品を出しました。
狛犬はこの言葉を恵比須さまに報告しましたが、恵比須さまは
「ネズミとは、大日経や前漢書にも悪いたとえに使われている。礼記にも『猫を飼うことは
鼠を捕らせるためである』とも書かれてる。そんないたずらものをお使いとして召し使って
いるのに、こんなことするわけがないと言う事が信じられん。
徒然草にも『なくてもよからんもの、国に盗人、家に鼠』って言われるぐらい一番の
災いの元やって言われてるやろう。そんな事言うんなら、元の茶道具を返さんかいな」
とますます怒ってしまいました。
狛犬はまた比叡山の大黒さまにお使いに行きましたが、恵比須さまの言い分を聞いた
大黒さまもとっても腹を立てられ
「ネズミを殺された事をよしよしと堪忍して、こちらからは一言も恨みを言わなかったのに
茶道具にかこつけてなんちゅうこと言うんや。そない言うんなら、もう茶道具も弁償したらへん。
それにネズミのことを仏教や儒教の書籍を引き合いに出してケチつけるのは気ぃ悪いなぁ。
猫は必ずネズミを食うもんでもなし、なくても困らんもんは、旱魃や洪水や地震、雷、火事など
ほかにもぎょうさんある。それに物事には悪い部分があればよい部分もあって、
だから十二支の筆頭はネズミやし正月飾りにも子の日の松を飾るし、富貴を願う子祭も
あるやろう。 こんなことも知らんといちゃもんつけるんなんて、笑ろてしまうわ。
とにかく今後はネズミを指さすだけでも許さへんし、茶道具かて弁償したらへん」
と声を荒げたので、狛犬はビックリしてあわてて帰りました。
大黒さまの言葉を聞いた恵比須さまが
「そんなこというなら摂津国のネズミを残らず殺して、そのあとで大黒を攻めてやる」
と言ったので、これを聞いた西宮、須磨の浦、一の谷、山崎、八幡辺りまでのネズミたちは
とるものもとりあえず大慌てで比叡山に逃げていきました。
そこで恵比須さまは軍勢を集めようと竜宮城へ使いを出すと、竜王は「いつも二人一緒に
福の神と崇められているというのに、不思議なことよ。でも恵比須さまのご命令だから
断るわけにもいくまい」と魚という魚だけでなく貝類にまで招集をかけました。
まず侍大将には八尋の熊鰐(くまわに)先陣なり、力は誰にもマスの魚(うを)、熊野育ちに
あらねどもスズキ兄弟打ち連れたり、声もカレイと呼ばるるは軍奉行の為なるらん、
軍にいつも勝つ魚と聞けばまことにマナカツヲ、敵のうちにイタラ貝、やがて天下はタイラ貝、
夜討ちをさせぬヨナキ貝。
その数十万八千余騎という軍勢が須磨、兵庫、西宮にあつまりました。
これを聞いた大黒さまは都中のネズミを集めましたが数が足りなかったので、都外れの
木幡(こばた)の隠れ里のネズミたちにも出仕するよう命じられました。
隠れ里のネズミたちは、白鼠、黒鼠、野鼠、山鼠、二十日鼠などがわれもわれもと
出で立ち、鳴尾の鼠の次郎穴住を大将と決めて、大黒様のもとに十万余騎が集まりました。
そのとき大黒様のもとに恵比須さまから使者がありました。
「今までずーっと一緒にいてこれからも仲良くしてると思ってたのに、こんなことになって
これは神道の本意にあらず、残念だ。
そもそも私はイザナギさまイザナミさまの第四子で、恐れ多くも兄上は伊勢国度会郡に
いらっしゃり、文句の付けようのない家柄だ。ところが大黒さんは色黒で背が低く、
横になった姿はクジラの輪切りみたいやな。手に持ってるのは大工の使う木槌みたいな
ものだし、肩に担いでる袋の中身はどうせ好物のお菓子や豆や豆腐が入ってるんやろ。
そんな汚い格好を我慢して今まで付き合ってやってたのは間違いやったわ。
今回出陣しても足が短いからアヒルみたいやで、きっと。さっさと降参して謝れば許したろ。」
この恵比須さまからの言葉を聞いた大黒さまはカラカラと大笑いされました。
そして猫や鳶に気をつけるよう注意して、鳴尾のネズミ穴住の次郎を使者にしました。
「恵比須さんの言うように、日ごろ仲良くしてずーっと変わらないもんやと思ってたけどなぁ。
思わぬ不幸があってこんなことになったのは、仏の戒にそむくことで罪科の程も恐ろしいわ。
恵比須さんのお家柄のことはよぉ分かりました。ただ私も、天にいたときは須弥山の頂に
座して三十二神に仰がれていた帝釈天王でしたし、その後天竺から日本に渡ったときに
衆生の願いをかなえるために姿を変えたにすぎません。
昔から美食美酒には事欠かん生活しとるから、貧乏で豆しか食うもんがないのと違います。
手に持ってる槌は如意宝珠の形で、宝物を出したり衆生の願いを叶えるもんやし、
担いだ袋には寿命長遠の薬を入れて不老不死の功徳を与えるためのものや。
それより恵比須さんこそ、三歳まで足も立たず骨もなくひるこの尊と言われ海に流されたんを、
竜神さんに育ててもらったんですやろ。今でこそ西宮に坐して諸国商人の上米をもらって
過ごしてはるけど、その前は波荒き浜辺で魚を釣って日々生活してましたやん。
氏より育ち、ということで、いまさら恵比須さんが系図を自慢したところでねぇ。
とにかく降参したほうがいいのとちゃいますか」
ネズミの穴住の次郎はこう申し上げると馬に乗りましたが、帰途鳥居のあたりで猫の声が
聞こえたのが恐ろしく、必死で比叡山まで駆け帰りました。
やがて恵比須さまは京まで攻め寄せ四条室町恵比須の町に陣を取り、黄緑色の着物を着て
折烏帽子をかぶり、黄金作りの太刀を佩き、八尋の熊鰐に銀のくつわを食ませました。
大黒さまは山を下り二条河原町大黒町に陣を張り、錦の着物に黒皮で綴ったよろいを着け、
鉢巻を締め、普賢菩薩ではないけれども大象にくつわをかけて出で立ちました。
ちょうどそんなころ、中国の布袋和尚さんが日本に来ていました。
奈良の達磨寺に参詣したあと京都の五山へも行ってみようと思われて北へ向かったところ
三条のあたりが騒がしいので何事かと人に聞けば、恵比須大黒が云々のことと聞きました。
布袋さまは、恵比須さまとも大黒さまとも昔からのともだちで仲良くしていたのだから
これはいかんと取るものもとりあえず両陣に分け入って仲裁しました。
「神道でも仏教でも争いはいかんと言っているでしょう。
涅槃経にも『仇を以って仇に報いては、いつまでたっても終わりがない』、法句経にも
『百戦百勝したところで、戦をしないようにとの一度忍耐には及ばない』と言うでしょう。
福の神の喧嘩は貧乏神の喜びになってしまいますよ。
そもそもの発端は些細なことからはじまっているのだから、お互いに堪忍しましょう。
心穏やかに侮辱や迫害にも耐え忍ぶ『柔和忍辱』こそ、仏教の教えですよ。」
この布袋さまの必死の説得により両者とも堪忍する事にしました。
さらにこの上はちゃんと仲直りしようと言う事で、あまり近くにいるとまたすぐ喧嘩して
しまうので、ちょっと間を空けようと恵比須さまと大黒さまの御殿の間に塀を立てました。
それから布袋さまは二条富小路布袋屋町のご自分の宿所に両者を招き入れ
楽しく酒盛りを始め、謡い踊り遊びました。
さらに盛り上がって昔よく遊んだ相撲をはじめ、恵比須さまが行司になりました。
大黒さまと布袋さまがさまざまの技を繰り出して勝っては負け負けては勝ちをくりかえし、
いつまでもいつまでも、仲良く過ごしたのでした。
<おわり>
神様方のガラが悪くて申し訳ないのですが、リズムの良い流れるような文章を
読んでいるにもかかわらず、子どものけんかのような言い合いの内容に
思わずふきだし、私の頭の中ではこんな口調に変換されてしまったのでした。