2014年8月6日(水)の歴史講座
「尼崎城門の通行手形―岡本家文書でみる「御門通札」の発行と変遷―」
同日開催の特別講演会「大庄屋と村~古文書から読み解く地域社会~」
を聴講した感想ご紹介します。
これは第30回特別展示「西宮の古文書 -岡本家文書の世界- 」に関連した 講座で、
まずは郷土資料館の衛藤学芸員が講師でした。
岡本家文書とは、昭和54年に西宮市重要有形文化財に指定された文書群で、
尼崎藩の大庄屋(おおじょうや・複数の村をまとめる村役人)を勤めた上瓦林村の
岡本家に伝わる江戸時代の史料です。
その史料の一つで、今回たくさん展示されている「御門通札(ごもんとおりふだ)」
と呼ばれる木札について、古文書からわかることについて紹介されました。
尼崎城に出入りするための通行証として発行されたものは、江戸時代の初めころは
郡代(藩の役人)が発行した火事人足用の臨時のものがあり、他に「夜行札」
「御厩通札」「御城内屎取札」など目的別のものが数も限られて発行されたと
いうことは古文書の記録からわかるのですが、札そのものが残っていないので、
表書きが目的ごとに違ったのか、素材が木札か紙札かなどはわかっていません。
江戸時代中ごろになると大庄屋が各村へ発行するようになり、各戸に1~2枚ずつ
発行され800枚余りも発行した記録があり、表書きが「御門通札」という木札が
たくさん残されています(上左写真・許可を得て撮影しました)。
掃除役や馬の世話係などで多くの村民が尼崎城内に出入りしていたようです。
これらの札は使用する際にはひもを通して腰にぶら下げていて、すると紛失する
こともあったようで、そのたびに拾われて悪用されないように、村にある残りの札に
新たに確認印を追加して更新するなど管理には十分気を使っていたそうです。
こういったことは札の現物だけ見ても分からず古文書の記録を調査することで
分かってくるのですが、数万点もの膨大な史料が残されているのでまだ調査が
及んでいないものもあり、これからまだ新しい発見があるかもしれないそうです。
引き続き関西学院大学教授の志村洋氏による講座で、地域自治の研究からみた
大庄屋というものについての話を聞きました。
藩の役人と一般村役人との間に置かれた役職で大半が世襲だったそうですが、
大名主・大肝煎・割元など地域によりいろいろな呼び方があり、その職務や
管轄村数などもその地域により大きな違いがあるそうです。
岡本家文書は次の世代の参考になるようにと大庄屋の仕事についてこまごまと記録し、
他に上瓦林村のことや家業のことや日常の出来事などの様々な内容があるそうです。
古くから菜種や木綿栽培の商業的農業経営の資料として注目されていたそうですが、
他にもいろいろな角度からの研究にも役立つのはまとまって残されているからです。
でもそれは尼崎藩内の一事例にすぎないとも言え、もし家に古文書が残されていると
いうのであれば、量に関わらずこの世に一点しかないかけがえのない史料だから
管理に困って処分してしまうことのないようにしてくださいとのことでした。
第30回特別展示「西宮の古文書―岡本家文書の世界―」
2014年7月19日(土)~8月31日(日) 西宮市立郷土資料館
担当学芸員による展示解説
8月9日(土)、8月16日(土) 10:00~11:00 郷土資料館展示室 申込不要