第40回西宮市内博物館等連携講座 2016年9月29日(木)
「下り酒と樽廻船」 (講師・白鹿記念酒造博物館の大浦さん)を聴講した感想を
ご紹介します。
上方で酒造りが盛んになったのは、宮水・酒造好適米・丹波杜氏・気候(六甲颪)が
そろっていて、それを巨大市場である江戸へ送ることができたからということですが、
慶長4(1599)年に伊丹の鴻池が初めて清酒江戸積みをしたときには馬の背に樽2挺を
載せて陸路で運んでいたので人手も日数もかかるものでした。
その後次第に船による大量輸送になるのですが、いろいろな業種の共同運営による
菱垣廻船の利用では積み込みに日にちがかかるなど不都合が出てきたので、
酒店組は酒だけを運ぶ樽廻船として独立したそうです。
上方から江戸までの航海日数は江戸時代中期には約30日、後期には約10日、そして
新酒の初荷を江戸へより早く送る新酒番船では最も早くて3日弱で着いたそうです。
造船技術や操船技術の発展により多くの荷物を早く送れるようにはなっていくのですが
ただ悪天候には弱かったようで、明治初めの新酒番船の時には3月30日に出港して
一番船は4月14日着、二番船4月16日、三番船4月19日、さらに二艘は「難事」とあり
記載はありませんがかなり荒れた天候ではなかったかと思われる資料を見ました。
他にも博物館の資料の中から、船を豪商一人で所有するのではなく出資者を募って
海難事故損害のリスクの分散を図っていた証文とか、海難事故が天候など不可抗力で
起こったことの証明書の浦手形からは積み荷の被害状況が詳しく記かれているので
酒のない時期にはやとわれて他の荷物も運んでいたのが分かる、など興味深い話を
聞くことが出来ました。
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次回は第41回西宮市内博物館等連携講座
「ミャンマー・古代ピューの考古遺産調査」 2016.10.13.(木) 13:30~15:00
講師:魚津知克(大手前大学史学研究所)
http://www.nishi.or.jp/contents/0002037400040004800699.html