日本酒と税の歴史

第31回西宮市内博物館等連携講座  2015年12月16日(水)
「日本酒と税の歴史」 (講師・白鹿記念酒造博物館の大浦和也さん)
を聴講した感想をご紹介します。

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弥生時代に稲作が盛んになってからは米で酒を作るようになり、平安時代頃までは
祭祀関連に使われる特別なものだったそうですが、中世には酒の売買がみられ、
室町時代になって酒造業者に課税をするようになったのが酒税の始まりのようです。

江戸時代には「酒株」という幕府による酒造の統制制度がはじまって、許可された
人だけが決められた量だけ酒を作るようになりましたが、酒株にも六種類あって
冥加金(税の一種)を払ったり払わなくてよかったりいろんなものがあったそうです。
そこで収入を増やそうとする幕府は今まで非課税の酒造業者に対して課税したり
酒造業者だけでなく酒問屋にも課税したり、その一方酒造業者も過去の由緒から
税を払っていない正当な理由を主張したり税率を引き下げるよう求めたりという
交渉の様子の史料が紹介されました。

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明治時代には酒への課税方法を全国的に統一することになって、明治11年には
1石につき1円という重量税になりました。
ただ税率はどんどん上がり、明治28年(1石につき4円)には10万円納税を祝って
記念品を配るなどしていた白鹿さんも数年後の1石につき7円というおよそ倍に
なった時には生産調整をしていたような減産の様子の資料も紹介されました。

明治35年には全国に513ヶ所の税務署が作られ今まで以上にきっちりと
酒造検査が行われ、桶のサイズや原材料の分量などを申告することになって
トップレベルの製造方法が外部に漏れやすくなって、全国的に酒造の技術が
あがったのだそうです。
福岡の酒造家小林作五郎は杜氏と一緒に税務署の検査役人のふりをして灘や
愛知の酒蔵に視察にいって技術を盗んできたとか、福島の箱石東馬は税務署の
官吏として酒造について詳しくなったあと下野し酒造改良に取り組んだとか、
一方で密造防止の取り組みとか、当時のバタバタした様子は興味深いですね。

国の財政が厳しくなると税率が上げられ、だからといって価格にそのまま
上乗せするわけにはいかないのは、今も変わらないんだなぁと思いました。

 

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次回は第32回西宮市内博物館等連携講座
「竪穴式石槨基底部の構築技術について」 2016.1.13.(水) 13:30~15:00
講師:山田 暁(西宮市立郷土資料館)

 

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