菰(こも)とは酒樽を覆っているクッション材で、江戸時代に樽廻船で江戸へ
酒樽を送るのに破損しないようにと付けたもので、わらで作ったむしろを巻いて
縄で縛って、どこのものかわかるように簡単に屋号やマークなどを記していた
ものが、次第にデザイン性の高い図柄の物が作られていったそうです。
榎本さんが菰を調べるきっかけは、尼崎で農業などに関わる仕事をしていた頃、
尼崎から農家がなくなる前に記録を残しておこうと聞き取り調査をしたときに、
農閑期の副業で菰作りがある地域に集中していることを知ったことです。
その地域とは田能・食満・次屋などの猪名川流域の土壌の豊かな稲作に向いた
場所で、酒蔵が近いこともあって江戸時代から酒樽用の菰や縄を作り、その作業を
取りまとめる仲買商人もたくさんいたけれど、現在尼崎で菰などの製造している
のは岸本吉二商店と矢野三蔵商店の二社だけだそうです。
現在では日本酒は樽より瓶での出荷が多く、鏡開きをする機会も減りました。
製造工程も、型紙を用いた手刷りや焼印を使った絵付からシルクスクリーンなどの
機械印刷に変わり、また菰の素材もわらからポリプロピレン製に変わりましたが
わらにこだわる酒蔵もあるので、山田錦などの茎の長い品種のわらを使っての
菰もいくらかは作られているそうです。
堂本さんの祖父が明治30年に菰冠り用の焼印作りの鍛冶屋をはじめましたが
阪神間で焼印を製造していたのは鍛冶宗だけだったと言われ、西宮・灘・伊丹
だけでなく伏見・広島・新潟からの注文もあったそうです。
昭和初期に日中戦争頃の社会情勢により父の代で廃業したので、その10歳の
ころまでの手伝いをしていた記憶から作業の様子などを紹介されました。
酒蔵から渡された文字見本をそのまま写して鉄材から文字を切り出す作業が
かなり技術が要ったのと、素材が鉄なのでとても重いし、子供の頃に手伝った
大きなふいごを動かす作業はとても大変だったそうです。
戦時中になぜか供出せず作業場に残されていたものが空襲にあって焼けたものの、
今まで大切に残されていた物ですから、まとまった状態で白鹿記念酒造博物館や
郷土資料館などでずっと保存されていくといいですね、といった話になりました。
白鹿酒蔵記念博物館の春の展示は『笹部さくらコレクション 桜スタイル』
ですが一室に菰のデザインについての展示があり、酒蔵館には焼印の型が
常設展示されていますので、興味のある方は是非どうぞ。
参考資料
「菰樽ものがたり」榎本利明 / 尼崎商工会議所創立100周年記念出版 (2012年)
「鍛冶宗の焼印づくり」榎本利明 / 堂本秀雄 (2014年)