2015年12月9日(水)の歴史講座「江戸時代の神事と仏事」を聴講した感想ご紹介します。
尼崎藩の大庄屋の上瓦林村岡本家にはいろいろな文書が残されていますが、講師の
衛藤学芸員が文化9(1812)年4月の村の氏神についての届書きの下書きが気になり、
そこから江戸時代の神事について調べていることを聞きました。
同じような内容の下書き数通に何度も訂正の跡があるそうで、例えば祭事の
内容として「宮座年番(当番の百姓)の家に集まってお神酒をいただく」が「拝殿に
おいて…」となったり、「上野村から翁舞の奉納を呼ぶ」が「氏子銘々が献灯する」
になったり、さらには神事の日付も訂正されるなど、普段やっていることなのに
なんでこんなに迷っているんだろうと思ったそうです。
これの清書は残っていないからどんな内容で提出されたのかはわかりませんが、
このようになんだかいろんな思惑があってか迷っている様子も興味深いという
ことで、実際の神事はどんなふうだったのかと思い当時の日記に記されて
いることを調査しているということでした。
まずは岡本家文書の「数歳萬覚日記帳」(1750~80年頃)という当時の岡本家当主が
隠居してからも書き続けたものはプライベートなこともたくさん書かれていて、
村の氏神の日野神社の神事はもちろん、伊勢講などの集まりや中山寺への月参り、
各地の御開帳にも足を運んだことなどがとてもたくさん書かれているそうです。
西宮町の年寄を勤める真多長左衛門家の日記「雑事家記 二番」は文化2(1805)年7月
から文化3(1806)年6月までの一年ちょっとしか残っていないそうですが、こちらは
西宮神社の神事についていろいろ記載があり、秋の例祭(今の9月の西宮まつり)や
誓文払いや十日戎のときなど主に親類を中心にですが誰某を招待してどんな料理で
もてなしたなどの記録があるそうです。
当時の人の日記を調べると祭りの詳細までは書かれていませんが、それでも
あちこちへ出かけたという項目がたくさんあり、仏事に関しても今回は話は
ありませんでしたが岡本家文書から葬式や法要をピックアップするとかなりの
回数になったそうです。
ただ西宮町では空襲があった時に日記など古い記録はほとんど消失してしまった
そうで残念ですね。
歴史講座の次回開催予定は2016年2月10日(水)「摂津国の古代集落」です。
申込 http://www.nishi.or.jp/contents/0003643500040004800699.html