2014年2月19日(水)の歴史講座「西宮の後期・終末期古墳」を聴講した
感想ご紹介します。
西宮の古墳というと、古墳時代前期~中期に作られた大型のものはほとんどなく、
後期の群集墳と言われる小さめの古墳が集まったものが多いです。
まず、西宮のどの辺に古墳があるかというと
古墳分布図を見ると、仁川のあたりと苦楽園の
あたりの少し小高いところに集まっていて
(左写真黒丸・拡大して見て下さい)、あと一基は
山口町北部に青石古墳があります。
これは阪神間一帯の古墳の傾向で、前中期の
大型の古墳は海岸寄りの比較的平らなところ
(西宮では消失した津門稲荷山古墳や津門大塚古墳
など)、後期の群集墳は丘陵地にあるそうです。
古墳時代の区分は、四つに分けられています。
前期(3c末~4c末) 前方後円墳始まる、竪穴式石室、円筒埴輪、銅鏡等を副葬
中期(4c末~5c末) 前方後円墳巨大化、竪穴式石室、人物埴輪、鉄製武具類を副葬
後期(5c末~6c末) 群集墳の増加、横穴式石室、須恵器等土器類の副葬が増加
終末期(7c) 前方後円墳の造営が終了、副葬品の減少
これらの特徴や須恵器の形式の変遷などを各古墳の出土品に当てはめて推測すると
具足塚古墳は八十塚古墳群より古いとか、八十塚古墳群の中でも老松支群は苦楽園支群
より古いとか、苦楽園支群の中でもどれが古くてどれが新しいとか、いろいろと
考えられるそうです。
こうやって年代を詳しく研究することにより、古代の西宮がどのような場所だったか、
中央(奈良)からの文化の伝播はどんな様子だったのかなど、いろいろなことについて
まだまだ研究中です、という発表でした。
解体の終わった津門のアサヒビール工場跡地から何か出土しないか気になりますし、
次回4月予定の講座では古墳に限らず発掘調査速報というテーマになるらしく、
西宮の考古学に注目していると興味深いことが出てくるかもしれませんね。
今までの古墳関連の講座の記事はこちらです。
「西宮の前方後円墳」2013.8.10.
「老松古墳現地説明会」 2012.6.3.
「西宮の後期古墳」 2011.12.21.