1969年(S44年)に、両隣の芦屋港と尼崎港も合わせて一つの港となり、正式には『尼崎西宮芦屋港』というようで、カタカナ表記にすると日本一長い港名。
港に注ぐ東川や、津門川の上流、津門のあたりは深く海が切れ込み、古く万葉の時代に大陸からの船などの停泊地だったといわれ、数々の伝説なども残っている。
西宮市には西宮浜・甲子園浜・鳴尾浜という3つの埋め立て地があるが、西宮浜の新西宮ヨットハーバーの東側から出ている西宮内防波堤(西宮ケーソン)は、甲子園浜沖まで続いており約1200mほどある。
堤防の先端には西宮内防波堤灯台がある。
また、西宮港の沖には通称一文字と呼ばれている『西宮防波堤』があるが、これは実に4433mあり、平成22年8月に5400mの茨城港常陸那珂港区東防波堤が完成するまでは日本一だったという。
この一文字までは渡船が出ていて、絶好の釣り場になっている。
司馬 遼太郎の「菜の花の沖」では、昔の西宮港のことが出てくる。>>
「摂津西宮は、江戸期の都市規模でいえば、堂々たる地方都市であった。兵庫と大坂の中間にあるが、海港としては兵庫よりも大坂の河口港である安治川尻に近いだけ商業的な結びつきが濃い。」
江戸時代は 江戸への樽廻船>>の発着として飛躍的に賑わった港。
2020年『「伊丹諸白」と「灘の生一本」下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷 』が日本遺産に認定されたが、その灘五郷の西宮郷・今津郷からは江戸時代に新酒を江戸へ 樽廻船で>> 運ぶ競争があったという。(新酒番船>> での 下り酒>>)
西宮港を望む西波止町にある住吉神社には、当舎屋金兵衛の顕彰碑があるが、これは当舎屋金兵衛が西宮港を風浪から守るために沖へ防波堤を築くときに、糀の無事を祈願して1805年(文化二年)に勧進されたといういきさつが掲げられている。
西宮港の近くには、1662年(寛文二年)創業の辰馬本家酒造>>があるが、白鹿の赤い大きな看板が立つ戎蔵の解体が決まった。(2020年6月)