江戸時代、灘の新酒を一刻でも早く運ぼうと輸送レースが行われた。
伊丹や灘五郷の酒を積んだ 樽廻船>> 問屋が競った。
航海は5日前後だったというが、3日ほどで運んだこともあったようで、
やはり一番船はもてはやされ、一番船の新酒は高価な縁起物となったという。
司馬遼太郎の『菜の花の沖』の中に新酒番船の時の様子がかかれている。
<おふさは旅籠をとっている。あすは新酒が出るとうので、
西宮の宿という宿ははちきれるような人を泊めていた。
このため旅籠で二人が逢えるというわけにいかない。>
一番になったら、まちを練り歩いたと言われている。
その様子を再現し、太鼓、鉦のにぎやかなリズムに合わせて
「それいっちゃ、やれいっちゃ」の掛け声ととも練り歩く新酒番船踊が、
秋に西宮神社で行われる『酒ぐらルネサンスと食フェア』という
イベントの中で再現されている。