樽廻船とは、江戸時代に江戸へと荷物を運んだ木造の帆船。
灘五郷の西宮郷・今津郷がある酒蔵の町・西宮の港からも日本酒が運ばれた。
蔵元だけでなく、廻船業(運送業)も盛んだった。
西宮には、宮水と酒造に適した米、そして丹波杜氏と六甲颪が吹き抜ける冷たい風と言う条件が揃い、これらが酒造業を盛んにし、日本酒を江戸へと運んだ。
その拠点になったのは、西宮港や今津港。
今津港には、大関酒造がその樽廻船の安全を願って『今津灯台』も建てた。
当時は、大消費地であった江戸へ一番速く着いた酒は、そに一年高値で取引されたため樽廻船同士で競ったが、それを新酒番船といった。
司馬遼太郎「菜の花の沖」>>の中にも、新酒で賑わう西宮港の描写が出てくる。
近年 西宮神社で毎年10月の最初の週末に行われている「酒ぐらルネサンスと食フェア」と言うイベントでは『新酒番船おどり』が花を添えているが、これはその昔、新酒番船で一番になったことを喜んで練り歩いたと言うことの再現。
昔は京都が都で日本の中心であり、江戸へは下ると言った。
そして、灘五郷の酒はそれまでのどぶろぐではない清酒で、とても人気のある美味しいお酒をいち早く江戸に運び高値で売れた。
そんな江戸運んだ酒を「下り酒」といい、江戸まで運べなかったものや 品質の悪いものもあったようで、江戸へ下らなかった物と言うことから「くだらないもの」と言う言葉ができた。
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