頼 山陽(らい さんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日) – 天保3年9月23日(1832年10月16日))は、大坂生まれの江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人。幼名は久太郎(ひさたろう)、名は襄(のぼる)、字は子成。山陽、三十六峯外史と号した。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。贈正四位[1]。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2019年4月21日 (日) 08:14
その頼山陽が京から故郷の竹原に住む親の元へ帰る道中でいつも見る、丸いぽこんとした形をした甲山>>がきっと気になっていたのだろう。
甲山に心境を託して、頼山陽が書いた漢詩を刻んだ碑が西宮ライオンズクラブによって 甲山森林公園>>に建てられている。
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