1662年(寛文二年)創業、灘五郷のひとつである西宮郷の清酒
「白鹿」ブランドを展開する辰馬本家酒造。

「白鹿」の名前は、長生を祈る中国の神仙思想に由来するという。
江戸中期には灘・西宮の「下り酒」が江戸で人気となり、
白鹿の地位が確立した。
その酒を運ぶ樽廻船から始まって、回漕業や金融業も起こし、
「宮水」として良質であった居宅蔵にあった井戸水を販売し始めたのもこの頃。
第二次世界大戦の戦災で大打撃を受け、白鹿も53蔵中35蔵を焼失した。
1993年(平成5年)に完成していた「六光蔵(ろっこうぐら)」が、
丹波杜氏の技術を引き継いでいる。
戦災で奇跡的に残ったうレンガ作りの「双子蔵」をわざわざ残して
「六光蔵(ろっこうぐら)」を立てたが、
残念なことに1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災によって
「双子蔵」も壊滅した。
丹波杜氏が積み重ねてきた技術を自動化したシステムを持つ、
『六光蔵』の中には手作りで少量を作るスペースも内蔵している。
「酒は造るものではなく育てるもの」という辰馬本家酒造のモットーは、
この六光蔵に引き継がれている。
この六光蔵は、アメリカ工場で日本酒を作るために
丹波杜氏が積み重ねてきた技術を自動化したシステムをベースにしている。
その上で、さらに酒造りの職人の技を活かすという蔵。
六光蔵には1,200ℓ入りのタンクが18本 絞った後にできる酒粕
白鹿 宜春苑(旧本社屋)
大正6年(1917年)に建築され、1999年まで本社社屋として使用された
『宜春苑』は、その後2007年に現本社敷地内に曳家で移築された。
今では、辰馬本家酒造の迎賓館として使用されている。
手づくりのために暑さが均一でないガラスは、光の通り方を歪ませる。
そんなガラスの入った窓や、建具など、
チャンスがあれば一見の価値がある建物。
辰馬本家酒造は、甲陽学院を設立したり、
上水道敷設費を寄付し越水浄水場が建設されたり、
市役所横にあった旧中央図書館建設費を寄付したりという
社会貢献活動にも取り組んできた。
1992年から経営してきたホテル事業(都ホテル→ノボテル甲子園)からは、2017年に撤退した。
2020年6月には戎蔵の解体が発表されたが、
戎蔵の上にはシンボルマークでもある直径約10mの赤い白鹿の大看板があるが、
これも蔵と共に見納めとなるようだ。
長年、潮風を受け続けてきた大看板は痛みが激しかったようだが、
市民にとってはランドマークのようになっていた看板だったので
惜しむ声も多い。
辰馬本家酒造WEBサイト>>
本社:西宮市建石町2番10号
白鹿白鹿記念酒蔵博物館>>
創業320年にあたる昭和57年に「白鹿記念酒造博物館(酒ミュージアム)」が設立され、
酒造りの資料のある酒蔵館と記念館となっている。
白鹿クラシックス>>
6つの蔵があった場所につくったレストラン。名前はそこからとった。
2001年に誕生した『白鹿クラシックス』は、江戸~明治の3つの蔵を
活用した土蔵の建物だったが、
2016年には大巾にリニューアルし、ショップも併設した
おしゃれな建物になった。