*

西宮の前方後円墳

      2014/09/09

第29回特別展示 「西宮の前方後円墳 -津門稲荷山古墳をさぐる-
2013年7月30日(火)~9月1日(日)  西宮市立郷土資料館

8月10日(土)の展示解説会と特別見学会に参加した感想ご紹介します。

 2013.8.10.

今回の展示は西宮の前方後円墳を紹介する企画展ですが、神戸や芦屋や
伊丹などに今も残っている前方後円墳の紹介や発掘調査で見つかった
埴輪や鉄器や石器などの出土品が主に展示されています。

というのも今の西宮には苦楽園などに円墳はありますが前方後円墳はありません。
ただ、大正時代に書かれた紅野芳雄氏の「考古小録」などの資料から推察される
ものとして、津門稲荷山古墳、津門大塚山古墳、上ヶ原車塚古墳という三つの
前方後円墳があったと考えられています。

津門稲荷山古墳は大正12(1923)年の国道2号線開通工事の時に後円部から土砂が
採られたようですが、それ以前に前方部の台形のような部分もほとんど失われて
杓子状にしか残っていなかったことが紅野氏の記録からわかります。
平成6(1994)年にこの推定地で発掘調査が行われたときには古墳の遺構は見つかり
ませんでしたが、埴輪や須恵器の破片が出土したので、このあたりに古墳が
あったらしいことは 確認されました。
この時みつかった埴輪は古墳時代中期のものですが、昭和52(1977)年ごろに
この推定地の少し南でも埴輪の破片が見つかっており、こちらは古墳時代後期の
ものなので、津門稲荷山古墳を中心にして周りに小さな古墳が集まって古墳群を
形成していたとも考えられるそうです。

津門大塚山古墳はアサヒビール西宮工場のあたりにあったらしいのですが、
明治5(1872)の国鉄敷設工事で土砂採取され、大正時代の紅野氏の記録には
古墳があったといわれる場所にできた池と、そこに残る古墳に使われていたと
思われる巨石の記録があるだけです。

上ヶ原車塚古墳は安政4(1857)年の「大井滝用水論所絵図」に描かれた高塚と
いうのがそれのようですが(現在の上ヶ原二番町あたり?)、吉井良秀氏の
大正時代初めころの記録に消滅前の状況がわずかに残る程度で詳しいことは
伝わっていないそうです。

2013.8.10. 2013.8.10.
.        (今回は許可を得て撮影しましたが、本来展示室内は撮影禁止です)
.
午後からは古墳の見学で、神戸市の東求女塚古墳・処女塚古墳・西求女塚古墳を
暑い中歩きました。
これらの古墳は古墳時代前期のもので、西宮にあった津門稲荷山古墳は中期、
津門大塚山古墳と上ヶ原車塚古墳は後期のものと時代は少し違うのですが
今も残っていればこんな感じのものだったのかと想像しながら見学しました。

2013.8.10. 2013.8.10.

 

 -歴史講座・現地見学会など

  関連記事

西宮市立郷土資料館

百姓逃散

第34回特集展示 「百姓逃散―江戸時代の百姓ストライキ―」 2011年4月26日(火)~7月10日(

慶長十年摂津国絵図

指定文化財公開&特集展示「国絵図・町絵図・村絵図」展が始まりました。まず初めは、貴重な資料の

旧西宮町に住んでいた人々~浜東町編~

2019年9月18日(水)の歴史講座「旧西宮町に住んでいた人々~浜東町編~」を聴講した感想ご紹介しま

住吉神社の夏祭

西宮砲台の近くの住吉神社の夏祭へ行ってきました。 平成になった頃にだんじり巡行は途絶えたそうですが、

西宮の橋を調べる―橋と川の郷土史―

2014年12月17日(水)の歴史講座「西宮の橋を調べる―橋と川の郷土史―」 を聴講した感想ご紹介し

西宮の民俗芸能

第37回特集展示 「西宮の民俗芸能―獅子神楽―」 2012年1月31日(火)~2012年4月1日(日

観天望気—自然とつきあう知恵と祈りの伝承について—

2015年8月12日(水)の歴史講座 「観天望気—自然とつきあう知恵と祈りの伝承について—」 を聴講

西宮の横穴式石室について

2016年12月20日(水)の歴史講座「西宮の横穴式石室について」を聴講した 感想ご紹介します。 講

西宮の祭礼の展示解説

郷土資料館の特別展示について、学芸員さんの調査中の苦労話を交えながら、それぞれの 神社や氏子会などの

西宮の後期・終末期古墳

2014年2月19日(水)の歴史講座「西宮の後期・終末期古墳」を聴講した 感想ご紹介します。