調査団 古文書班・相州浦賀罷下

以前「江戸表へ罷下」という記載について紹介しましたが、
浜久保町宗門帳にも似たような内容がありました。

戸主がいない間は代判人が立つのは同じですが、今回のケースでは
年度内に帰ってきまた出ていくという様子がわかっておもしろいです。

この宗門帳が作られた寅年10月には、戸主の清八は商売で浦賀へ行き
留守中は代判人がいます、と理由と代判人の名前が書かれています
(上画像の左側ですがトリミングで名前は見えていません)。

次に卯年正月には清八が戻ってきたので清八自身の判子になりました。
そして卯年7月にはまた浦賀へ行ったので代判人の判子に変わりました
(判子の横に小さい文字で変更理由をメモしています)。

江戸まで日本酒を運ぶ速さを競った新酒番船は浦賀がゴールだったと
思うので、酒造業や廻船業関係の仕事でもしていたのでしょうか?

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