2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」では、明智光秀が主人公で戦国時代が
舞台となっていますが、そのなかに西宮にゆかりの三好長慶が登場しました。
そしてその居城だった越水城がドラマ終わりの「紀行」でも紹介されました。
このあたりの歴史は地域も広がり人物も増えて一気にややこしくなるので苦手で、
あまり関心がなかったのですが、簡単にまとめてみました。
参考文献は 天野忠幸『三好長慶』(ミネルヴァ書房) です。
応仁の乱 (1467~1478) は一応終結したもののまだ落ち着いていない世の中。
管領細川家の庶流家のひとつ阿波守護細川家、その家臣だった三好家。
永正13(1516)年 越水城築城。細川高国が阿波に居た細川澄元の来襲に備えて
西国街道の要衝に 瓦林政頼に作らせたもの。
享禄4(1531) 管領細川高国 vs 細川晴元・三好元長(長慶の父)
→高国死亡 (大物崩れ)
享禄5(1532) 細川晴元 vs 三好元長
→元長は妻と長慶(幼名千熊丸11歳)を阿波に逃がし堺で戦死
天文2(1533) 三好長慶が一揆勢との和睦を仲介。父の仇細川晴元の家臣となる
天文8(1539) 細川晴元・三好政長 vs 三好長慶
→和睦。この戦で攻め落とした越水城を本拠地とする。
今までは畿内で情勢が不利となると阿波へ撤退していたが、
これ以降帰国しなくなる。家臣団にも昔からの阿波国人の他に
摂津の国人を登用する。 18歳
天文16(1547) このころから筑前守長慶と名乗るか。 26歳
天文17(1548) 細川晴元 vs 細川氏綱・三好長慶 <ドラマ第6回設定は天文17年秋>
~天文19 →和睦。だがまたすぐに足利義輝・細川晴元と対立する
天文20(1551) 三好長慶、二度の暗殺未遂。30歳
天文21(1552) 足利義輝と和睦し直臣となる。細川晴元出家、細川氏綱家督。
天文22(1553) 足利義輝・細川晴元 vs 細川氏綱・三好長慶
→義輝を近江へ追放。代わりの将軍を擁立せず独自に京都を支配。
戦で攻め落とした芥川山城に本拠を移す。32歳
永禄3(1560) 飯盛山城を攻略し居城にする
永禄7(1564) 飯盛山城で死去。43歳
三好長慶の略歴を越水城に関わるあたりを中心に書き出してもこのややこしさ。
似たような名前の人々が相手をとっかえひっかえしながらけんかしてるので
まだよくわかっていません(笑)
今の越水のあたりは住宅街で遺構などはなにも残っていません。
ただ山城というほどではありませんが周囲より一段高い位置だというのは
よくわかりますし、すぐ足元には西国街道が通っているので、城を築くのに
ふさわしい場所だったんだなということは感じられると思います。
現在西宮市立郷土資料館では、越水城と三好長慶を取り上げた展示コーナーが
出来ていますので、 そちらもちゃんと見て勉強してみようと思います。