生瀬周辺の文化財をめぐる

さくらFMの「まちたびラヂヲ」特別編でラジオの生放送と一緒に現地を見学する
ウォークの7回目は生瀬周辺を歩きました。
歩いた順番とは一部違っていますが、行った場所を簡単に紹介します。

生瀬と言えばまずは江戸時代には宿場町として栄えていた村です。
「摂州有馬郡生瀬村馬借村絵図」のコピーを手に今でもこの路地は残っているとか
昔ながらの妻入建築の民家は阪神淡路大震災で一気に数が減ってしまったとか、
数多くの五輪塔や街道の道標など見学しました。

そして私は今まで知りませんでしたが「生瀬温泉」という旅館?があったそうです。
明治34(1901)年の銘のある大きな石碑(下左写真)と3~4m四方ほどの石組の
露天風呂の跡(下右写真)が残っています。
明治31(1898)年に阪鶴鉄道有馬口駅(現JR生瀬駅)が開業した当初は有馬温泉へ
行く多くの人がこの駅を利用していたそうで(山下忠男「町名の話」より)、
この温泉も一時は賑わっていたようですが長続きせず数年で廃業したようです。

そこから水路をたどる道を歩きましたが、こちらも私は初めてでした。
生瀬は河岸段丘の上に発達した村なので、武庫川がそばにありながらも川の方が
低い場所を流れているので使いにくく、かつてウィルキンソン工場があったように
井戸を掘っても炭酸まじりのような生活用水には適さないものが多く、そのため
太多田川の上流から水路で水を引いてきたそうです。

江戸時代中頃に書かれたと思われる馬借村絵図にある水路は取水口などは
よくわかってないそうですが、この既存の水路を明治37(1904)年から本格的に
整備して昭和まで生活用水として利用していたそうです。
山の中は水路を掘り、谷にかかると上を樋で渡し、村の中は木管を地下に埋め
配水したり、今でも旧街道沿いに西から東へ側溝を流れ続け(下左写真イメージ)、
村の東端の火の見櫓裏から武庫川に向かって落ちる時には水車を回していた
そうです(下右写真イメージ)。
 
最後に浄橋寺の文化財や生瀬皇太神社のだんじりなどを見学し、いいお天気の
生瀬ウォークを楽しむことが出来ました。

にしのみやデジタルアーカイブ https://archives.nishi.or.jp/ で「生瀬」で
検索して、昔の街並みの写真などと見比べるのも興味深いですね。

さくらFM まちたびラヂオ特別編 「生瀬周辺の文化財をめぐる」
2018年5月20日(日)開催

 

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