八幡信仰の展開と朝廷

第50回西宮市内博物館等連携講座  2017年8月10日(木)
「〈古代・中世の神々1〉八幡信仰の展開と朝廷」
(講師・大手前大学史学研究所の田村正孝さん)を聴講した感想をご紹介します。

前回は聴講者が会場いっぱいになったので、今回は大学が夏休み中なので
アートセンターの教室での開催となりましたが80人余りの参加で盛況でした。

八幡信仰は日本の神社の中で一番多く、二番は伊勢信仰、三番は天神信仰です。
西宮にも旧鳴尾村・旧下大市村・旧芝村・旧高木村・旧上ヶ原新田・旧名塩村・
旧段上村と多くの八幡神社があります。

その始まりは宇佐八幡宮で、飛鳥時代に現れた山岳信仰の神とも渡来系の神とも
いわれる八幡神で、九州の一地方の神様だったそうです。
それが隼人征伐に力を貸したとか、奈良時代に聖武天皇が大仏建立するときに
黄金が国内から産出すると託宣したとか、僧道鏡が太政大臣となり皇位簒奪を
目論んだとされるときに皇統を守る託宣をしたとか、いろいろな逸話によって
神様の性格(ご利益?)が多方面に広がっていったようです。

その後、八幡神という神様だったのが応神天皇と同一視されその母神功皇后と
妃で八幡三神として皇位を守る神様として中央政権に係わり深い神様になりました。
さらに平安時代初めには京都に勧請され石清水八幡宮ができ、平安時代後期には
源氏の氏神として石清水から鎌倉に勧請され鶴岡八幡宮ができて、それぞれが
さらに勧請されて全国的に信仰が広まっていったそうです。

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次回は第51回西宮市内博物館等連携講座
「考古資料からみる中国古代史の裏側」 2017.9.14.(木) 13:30~15:00
講師:石谷慎(黒川古文化研究所研究員)
http://www.nishi.or.jp/contents/0002037400040004800699.html

 

 

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