第35回西宮市内博物館等連携講座 2016年2月17日(水)
「江戸時代の念仏行者」 (講師・西宮市立郷土資料館の俵谷和子さん)
を聴講した感想をご紹介します。
俵谷さんが研究している徳本(とくほん)という江戸時代の僧侶に関連して、
その時代背景などを紹介してもらいました。
聖徳太子の頃に日本に伝わった仏教は、奈良時代の聖武天皇の国分寺・国分尼寺や
大仏建立などのように国家安泰を祈願するもので、平安時代には国の政治から少し
切り離されますが貴族たちが信仰するようになり末法思想や阿弥陀信仰から
藤原頼通が平等院を建てるなどしました。
その後鎌倉時代頃から、阿弥陀様の世界に行くために深い信心でたくさん念仏を
唱えるという法然の浄土宗や、念仏を唱えるだけで救われるという一遍の時宗や、
禅宗が伝わったりと様々な宗派がおこり、仏教は国家を守るものから民衆を救うもの
へと変わっていきました。
江戸時代になると宗教は政治の下に置かれて管理されるようになり、僧侶も
壇林制度という養成機関の枠の中に納まってしまいましたが、そんな枠から
飛び出して鎌倉時代の法然への回帰を目指して自ら厳しい修行に取り組む
捨世派(しゃせは)という僧侶たち(念仏行者)があらわれたのだそうです。
教えそのものは一般の浄土宗と変わることはないけれど、自分たちは山伏の
ように山岳地帯で厳しい修行をしながら極楽往生をめざし、民衆を救うためには
病を治したりする現世利益的な活動も行い当時の人たちに人気があったそうです。
なかでも徳本は人気があり、現在でも特に関東で信仰を集めているそうで、それは
なぜなのか、西宮にも六字名号を刻んだ石造物が残っているがどんなかかわりが
あったのかなど調べているということでした。
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次回は第36回西宮市内博物館等連携講座
「江戸時代の漢学者と古鏡収集」 2016.3.2.(水) 13:30~15:00
講師:杉本欣久(黒川古文化研究所研究員)
http://www.nishi.or.jp/contents/0002037400040004800699.html