鳴尾飛行場

鳴尾飛行場 鳴尾競馬場 甲子園

その昔、西宮には鳴尾飛行場があった。
1943年、それまで 競馬場>>(1907年開場)だった場所に飛行場を作るため、
周囲にあった浜甲子園阪神パークや甲子園南運動場なども一緒に海軍に接収され、浜甲子園阪神パークはこの時姿を消した。
(この時姿を消した浜甲子園阪神パークの残骸などは、今でも甲子園浜>>の海の中に眠っている。)

潮が引くと現れる、浜甲子園阪神パークの遺構の中には、当時の入浴施設のお湯が出る部分ではないかと言われる「ライオンの形のもの」も姿を現すことがある>>

鳴尾飛行場 甲子園

今の枝川町にあり、その一部は武庫川女子大のキャンパスや
浜甲子園団地>>になっている。
海軍の飛行場だったが、川西航空機(今の新明和工業)が作っていた
飛行機の試験飛行にも使われていた。
当時、紫電改を作っていたという。

飛行場になるとき、競馬場の建物のうち正面玄関付近だけが残され、
管制塔に使用された。
その建物が今も残っていて、
現在は武庫川女子大中高等部の芸術館の建物として使われている。

城山三郎『零からの栄光』にも出てくる。

競馬場あたりが飛行場になった
現在地の赤丸は、全国中等学校優勝野球大会開催地の碑>>

投稿日時 : 2020-06-24 22:28:42

更新日時 : 2022-10-06 20:53:21

この記事の著者

編集部|J

『西宮流(にしのみやスタイル)』の立ち上げ時からのスタッフ。
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