ここの浜は「御前浜」と呼ばれたり、「香櫨園浜」と呼ばれたりする。
西宮市の公園マップなどを見ると「御前浜(香櫨園浜)」という表記になっている。
平安時代には、御前浜(おまえはま)と呼ばれていた。
当時の海岸線は、今の海岸線よりもずっと北にあり広田神社の「浜の南宮」(現在は西宮神社の境内にある)の前にある浜ということから『御前の浜』と呼ばれた。
香櫨園という呼び名がは、阪神電車によるリゾート開発で香櫨園遊園地ができたころからのようだ。
その後、「香櫨園浜海水浴場」がオープンし、この浜が大勢の海水浴客で賑わい、一気に「香櫨園浜」という呼び名が定着したようだ。
浜は、東は砲台あたりから、西は堀切川まで東西約1キロ、広さ約5.7haの砂浜。
冬鳥のヒドリガモ、ホシハジロなど、カモ・カモメ類の絶好の休息地となっている。
御前浜(香櫨園浜)は阪神間でも数少ない自然の浜が残っている場所で、冬は野鳥の宝庫。
1907(明治40)年に香櫨園浜海水浴場として阪神電鉄が開発した頃は、今のオアシスロードをボンネットバスが走り大勢の海水浴客で賑わったこともあった。
現在の夙川駅の西の辺りにあった香櫨園遊園地が6年ほどで閉園になった後、そこから移築された演芸場(「阪神館」と呼ばれる)、 音楽堂やローラースケート場などがこの浜にあった時代もあり休憩場も立ち並ぶ賑やかな場所だった。
海水浴場開設が契機となって、それまで「御前浜」と呼ばれていた浜は 「香櫨園浜」と呼ばれるようになったと言う。
高度経済成長期、海水汚染のため海水浴場は1965(昭和40)年に閉鎖された。
その後しばらくはマリンプールがあった時期もあった。 プールの横には釣り堀もあ人気の場所だったという。
谷崎潤一郎の阪神見聞録の中にもこの浜が出てきたり、文学作品の中にも記述が多い。
また、野坂昭如氏の「火垂るの墓」>>でも清太と節子がここで水浴びするシーンや、この横に立つ回生病院などが出てくる。
香櫨園浜の東の方には、幕末期、外国船への防備として築造された「西宮砲台」>> がある。(国の史跡に指定)
明治17年の火災により外郭部を残すだけになっていたが、明治41年、阪神電鉄が払い下げを受け、明治43年には屋上を電灯で飾り、海水浴客を見込んだビヤホールとして数年使われていたと言う。
海水浴場が閉鎖された後、昭和50年代には、海の水をきれいにする取り組みが功を奏し、ウィンドサーフィンを楽しむ人が集い、野鳥が飛来する楽園へと姿を変えた。
週末にはボランティアが清掃活動もされている。
また貴重な海浜植物(ハマボウフウ)の姿も確認されていて、ここの自然を守る市民活動も粘り強く続いている>>
兵庫県が「阪神なぎさ回廊」として尼崎・西宮・芦屋の臨海地域の遊歩道などの整備を行っており、西宮市でも積極的に整備している。
香櫨園浜も2019年に一旦整備が終わり、浜の東側にある駐車場から遊歩道ができたりトイレが改修されたりした。
<注>この浜はバーべキュー禁止!!
バーベキューは、対岸の西宮浜総合公園内のバーベキュー場で➡
遊歩道が整備される一方で、海岸の松林の育成も進んでいる。
現在は、東側の砲台横に見えるだけだが未来に向けての取り組みも進んでいる。
昔は、西宮の浜では鰯漁が盛んで、網で引き揚げられた新鮮な鰯を「テテカム鰯~!」と売り歩いていたという。
西宮市情報公開課提供