阪神電車で高度成長時代の1958年から走り出した『上がクリーム色、下が赤(バーミリオン)のツートンカラーの車体』は、当時、 お茶の間で人気だった漫画のキャラクター「赤胴鈴之助」にちなんで『赤胴』という愛称が付いたという。
<2020年6月2日が、武庫川戦での赤胴車のラストランとなった>
以来60年以上にわたり阪神電車の愛好家から愛着を込めて「赤胴」と呼ばれ、多くのファンを持つ車両だが、2015年5月には本線から姿を消しその後は武庫川線で活躍してきた。
しかしそれも2020年に引退することが発表され、2020年5月末から新しく走り出す車両のデザインが先日発表された➡︎
2021年7月10日からは、赤胴車一車両が武庫川団地の公園に設置され、コミュニティスペースとして活用されている。
赤胴車の写真集 by 西宮流
過去に西宮流が写していた赤胴車の写真を集めてみた。
すでに見られなくなってしまっている風景もありますので、それも合わせてお楽しみください。











赤胴車に関係する記事集
武庫川線を走る赤胴車の動画はこちら➡︎
一番最後の写真の『焼け屋敷踏切』に関しての記事はこちら➡︎
鳴尾駅(現 鳴尾・武庫川女子大前駅)に関する記事はこちら
2020年5月末から走る新デザインの車両の記事はこちら➡︎」
赤胴さんを愛するmai m さんの動画はこちら➡︎
赤胴車の歴史
- 1943年(s18)11月21日
洲先駅(現武庫川団地前駅)~武庫川駅の電車開通 - 1944年(s19)8月17日
武庫川駅~武庫大橋駅の電車開通 - 1944年(s19)11月15日
洲先駅(現武庫川団地前駅)~JR西ノ宮駅の貨物営業開始(SL運転) - 1945年(s20 )6月
大規模空襲で電車・貨物ともに運転休止 - 1946年(s21)1月
洲先駅(現武庫川団地前駅)~JR西ノ宮駅の貨物営業開始(米軍の要請) - 1948年(s23)10月10日
現在の洲先駅~武庫川駅の電車再開 - 1958年(s33)10月25日
赤胴車(運転台が両側にある3301形・片側だけの3501形)が誕生。
19m級の大型電車の導入が始まる。 - 1966年(s41 )3月20日
武庫川線で赤胴車(3301形)が1両編成で運転開始。 - 1968年(s42)11月12日
武庫川線の電圧が600Vから1500Vに。 - 1974年(s49)10月16日
赤胴車7890号が車体番号3904として誕生 - 1979年(s54)3月21日
武庫川団地入居始まる(3~9号棟) - 1984年(s59)4月3日
現在の洲先駅~武庫川団地前駅が開通 - 1986年(s61)9月29日
赤胴車7890号が車体番号3904として再誕生 - 2020年(r2)6月2日
赤胴車の運転最終日(4編成8両が走っていた) - 2020年(r2)6月3日
新デザインの4編成が運転開始
タイガース号・甲子園号・TORACO号・トラッキー号 - 2021年7月10日
最後まで走っていた赤胴車のうちの1両が、武庫川団地でコミュニティの拠点として活用されることになった。
武庫川団の公園にある赤胴車
2020年6月に引退した「赤胴車」のうちの一両が、武庫川団地の公園に設置されることが決まり、2021年7月10日お披露目の式典が行われた。
この日は午前中に式典が行われ、午後は地域の方々へのお披露目となった。
今後は、地域のコミュニティの拠点として、自治会や近隣の大学などとの連携の催しや会合での活用を想定している。

2025年4月12日以降 赤胴車が順次復活
阪神電車の顔とも言われ、長年親しまれていた「赤胴車」は、武庫川線で運行を続けていた7990・7890形が2020年6月に引退し、「赤胴車」は全廃となっていた。
1984年に「バーミリオン」と「クリーム」のツートンカラー、いわゆる「赤胴車」の愛称で親しまれるデザインで運行を開始した8000系車両は、2001年度から2015年度にかけてのニューアル工事で、その頃の最新型9300系に合わせたデザインに変更されて現在に至っていた。
あか同社が廃止された後、それを惜しむ声も多く、開業120周年関連施策の一環として、社内で検討が行われ、2025年4月12日以降、阪神電車の顔として親しまれた「赤胴車」のデザインの8000系が復活。

阪神電車が発表した「急行用車両の歴史」
開業120周年を機に、急行用車両8000系を皆様に親しまれてきた「赤胴車」のデザインに順次 変更することを決定しましたので、「赤胴車」と呼ばれる急行用車両の歴史を、当社の事情と併せて紹介 します。
<阪神電気鉄道株式会社が2025年3月3日に発表した資料の全文をそのまま載せます。>
1 戦前における急行の運転状況
当社は、大阪・神戸間の都市間輸送と共に、人口が密集する都市圏内部の短距離輸送も担ってい るため、列車本数を多く設定し、ラッシュ時の旅客集中に応えるだけでなく、両都市間のスムーズ な移動と多数の駅に停車するフリークエントな輸送サービスを両立して提供する必要があります。
このため、1921年には本線の急行運転を、翌年には本線急行の追い越し運転を開始。当初、 急行は梅田・三宮間で56分を要していましたが、地下化・高架化を含む専用軌道化により所要時 間の短縮を進め、1933年にはついに阪神間を35分で結ぶ特急が登場します。乗客は年々増加 し、1942年には特急の6両連結運転を開始しますが、軌道法における6両連結は日本初のことでした。
その後、戦禍の拡大により車両の消失や損耗を補えなくなり、1945年6月には普通のみを運 行する戦時臨時運転の実施のやむなきに至ります。太平洋戦争と続く風水害で、同年10月には在 席車両286両のうち可動車両はわずか55両という状況に陥りました。
2 特急用3011形の投入による車両の大型化・高速化
戦争が終わると輸送力回復に懸命の努力がなされ、1945年12月には他社に先駆けて戦後の 電鉄界で初となる急行運転を再開します。しかしながら、戦争の被害は他社に比べて甚大で、戦前 からの課題であった車両の大型化・高速化は1950年代半ばまで凍結せざるを得ませんでした。
ようやく1954年に当社初の大型特急車両となる3011形の営業運転が始まり、梅田・三宮 間をノンストップ25分で結ぶようになります。この車両は、ゆったりとしたクロスシート、蛍光 灯照明、防音・防振台車などを備えた当時の世界最高水準の電車で、戦後日本の高速電車史上を飾 る名車と言われましたが、片側2扉の特急専用車であったため、ラッシュ時の使用が困難であり、 運用面での制約がついてまわりました。
3 急行用車両の投入と「赤胴車」の誕生 このため、1958年以降、通勤タイプの急行用 車両として、片側に3扉を設置し、車内はロングシ ートとした3301形4両、3501形20両を新 造することとなりました。 これらの車両は、車体上部が「クリーム」、下部 が「バーミリオン」に塗り分けられていたことか ら、当時人気を得ていたキャラクターの赤胴鈴之助 にちなみ、「赤胴」の愛称がつけられました。 以後、急行用車両はすべてこのボディカラーとな り、阪神・淡路大震災復旧車両の9000系車両が銀色のステンレス製車体に「オータムレッド」 と「オフィスグレー」を組み合わせた帯をまとうまで続きました。

4 9300系の登場
2000年に誕生した次世代の急行用車両9300系は大幅なモ デルチェンジを行うとともに、ボディカラーについて「急行用車両 は赤色系」という伝統を引き継ぎながら、「21世紀の幕開け」と 「震災を乗り越えて新たに出発する」という願いを込めて、上部は 「プレストオレンジ」、下部は「シルキーベージュ」のツートンカラ ーに変更となりました。

5 8000系のボディカラー変更
1984年に第1編成(8201~8202)6両が竣工し、営業を開始しました。1995年 の阪神・淡路大震災で被災し、一部、廃車になりましたが、編成の組換えや代替新造車両を製造す るなどして、現在、当社の最大勢力を誇る急行用車両として、19編成(114両)が阪神本線・ 神戸高速線・山陽電鉄線(西代~山陽姫路間)で活躍しています。
当初は「バーミリオン」と「クリーム」のツートンカラーでしたが、2001~2015年度の リニューアル工事で、当時の最新型9300系と同じ、上部は「プレストオレンジ」、下部は「シル キーベージュ」のツートンカラーに変更となりました。

6 「赤胴車」の全廃
2009年に阪神なんば線が延伸開業するまで、西大阪線では「赤胴車」を運行していましたが、近鉄線への相互直通運転開始に伴いすべて1000系及び9000系に置き換えました。 本線及び神戸高速線では、5の8000系のリニューア ルが完了した2015年に「赤胴車」が姿を消すこととなりました。 武庫川線では、2020年に7990・7890形が運行を終了し、1958年から親しまれてきた「赤胴車」はすべて廃止となりました。 なお、最後まで武庫川線で運行していた赤胴車は 021年、新たに「武庫川団地のシンボル」として移設され、地域のコミュニティ拠点として生まれ変わりました。
