地元では浜甲(ハマコー)団地と呼ばれている。
戦前、この一帯は鳴尾(阪神)競馬場や南運動場、阪神パークなど
多くのレジャー施設でにぎわう郊外住宅+スポーツ・レクリエーション施設が多いエリアだったが、
戦争の影が濃くなり始めた1943年(S18年)には殆どが海軍に買収され、
飛行場もでき海軍の鳴尾航空基地となった。
終戦後は、その地域一帯が進駐軍に接収された。
1957年(S32年)に接収解除となり、1957年(S34年)に69万m2が
日本住宅公団/西宮市/武庫川学院/阪神電鉄などに払い下げられ
浜甲子園団地などが建設されることになる。
西宮市は、この時に学校や公園などを整備したので、
甲子園浜小学校・浜甲子園中学校・市立西宮東高校などが一角に固まっている。
市立西宮東高校は、俳優の堤真一さん>>や常盤貴子さん>>がおられたことで知られる。
戦後の住宅問題を解決するためにできたこの新しい団地は、
昭和37年から入居が始まり、
日本住宅公団(現:都市再生機構)が31万m2に150棟、4613戸の住宅団地を造り
1万人以上が住む関西でも有数の団地となった。
1970年には約5000戸15,000人とピークを迎え、
1995年(H7年)から急激に減り始めた。
その頃から検討会が始まり、新しい住宅地域へと生まれ変わることになり、
団地の東側のさくら街エリアから入居が始まっており、
高層住宅や一戸建てエリアなどもあり順次整備されている。
ペットとの共生住宅、貸し菜園など街づくりも視野に入れた
新しい取り組みも取り入れられている。
2016年2月
この後、給水塔は無くなった2016年2月
かつての商業施設も撤去2016年2月
新しい街へと変貌中2018年10月
新しく整備された広場でイベント2018年10月
取り壊された更地が広がる2018年10月
西側の建物はまだ健在
2016年(H28)年には、エリアマネジメントの手法を取り入れ
一般社団法人『まちのね浜甲子園』>>が立ち上がり、
「HAMACO:LIVING」やカフェ「OSAMPO BASE」などを拠点に、
広く自治会などとも連携した街づくりの核となっている。
西宮市のデジタルアーカイブサイトでは、
S30年代の懐かしい浜甲子園団地の写真が見れる>>>