戦国武将・三好長慶と西宮を訪ねて歩く

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越水城址

「大東・三好長慶の会」のメンバーと三好長慶に関心のある方々が越水城跡の見学のために大東市から来られるということで、一緒に歩かせていただいた。

実は三好長慶に大変ゆかりのある城が、その昔、西宮にあった越水城。
そう、今の大社小学校あたりにあった越水城が、三好長慶を語るにはとても重要な城。
三好長慶は、信長より前に畿内を統一していて「信長より一足早く天下人になった人物」とも言われている。
現在は城趾の碑しかないが、三好長慶を感じられる場所の一つということで訪ねてきていただいた。

この日は西宮市立郷土資料館の学芸員の引率で、阪神西宮駅➡︎傀儡子古跡➡︎マンボウトンネル➡︎一本松(常盤町)➡︎西田公園➡︎越水城趾の碑➡︎越水井戸というコース。

<三好長慶 >
三好長慶(1522〜1564)は、三好元長の嫡男として現在の徳島県三好市に生まれた。3人の弟たちや松永久秀などと一緒に最大勢力時は近畿と四国など13ヶ国を治めたという。
一度、阿波に逃れた長慶が再び戻ってきた時の最初の城が越水城だった。
その後、高槻の芥川山城に居城を移し正親町天皇の信任を得て、1560年には飯盛城(大東市・四條畷市)に入城した。

<越水城>
越水城趾の碑は、現在、大社小学校南東角に置かれているが実際の城はそれより少し東にあったと思われいる。
越水城の立地は標高は約20m。麓との高低差は約10mで、南側を東西に山陽道・西国街道が通り、城から真っ直ぐ南へ下がると戎夷宮(西宮神社)のある西宮町へと続く交通の要所となっている。
城域は東西約100m、南北約140m。北側と西側には堀が築かれており、東側は自然な崖になっていたという。
築城は永正12〜13年(1515〜1516年)瓦林城主・瓦林正頼の手による。(瓦林は今も地名として残る)
慶長十年摂津国絵図はこちらのサイトから➡︎ 
      (地図の中に古城とあるのが越水城)

この日は、西宮市の成り立ちや地形も感じていただこうと郷土資料館の学芸員が用意した古地図などの資料を片手に越水城の高低差なども実感しながら歩いたが、産所町の傀儡子古跡や常磐町にある一本松などの説明も興味深かったようだ。

2020年のNHKの大河ドラマは「麒麟がくる」で、 明智光秀が主人公の戦国初期の群雄割拠の戦乱 の頃が舞台となるという。
こうして歩いてみると、西宮にゆかりのある三好長慶がどのように出てくるのかも興味深くなってきた。

瓦林城や越水城など、その昔西宮にあったとされる城の名残はほとんどなく、門前町のような顔をしている西宮だが、改めて歴史を振り返るきっかけになるのかも・・・・。

投稿日時 : 2019-10-17 18:28:55

更新日時 : 2024-01-29 15:35:58

この記事の著者

編集部|J

『西宮流(にしのみやスタイル)』の立ち上げ時からのスタッフ。
日々、様々な記事を書きながら西宮のヒト・モノ・コトを繋ぎます。

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