西宮地方卸売市場にあった旧公設市場の大屋根施設は飛行機の格納庫だったのか??

卸売市場

JR西宮駅近くにある西宮地方卸売市場(民設市場)が、50年余の紆余曲折の時を経て同じ場所で新市場として生まれ変わり、2023年11月26日に竣工式を迎えた。

リニューアルの記事は、市政ニュースのトップも飾ったので「え?西宮に卸売市場があったの?」と驚かれた方もあったのかも??

市場の発祥は、遡れば明治時代までなるようだが、昭和47年の地方卸売市場法で整備された時には、西宮市地方卸売市場(公設市場)・西宮東地方卸売市場(民設市場)・西宮地方卸売市場(民設市場)の3市場だった。
阪神淡路大震災で大きなダメージを受け、現在のドンキホーテの所にあった市場が無くなり、2市場となっていた。
またアーケードの屋根なども含めて老朽化が問題になりつつ最近まで至っていた。

以前の敷地面積からはかなり縮小となったが、事業者も整理され、新しい鉄筋コンクリートの大屋根の下にすっきりとまとまった形で青果部門だけの市場として新たにスタートした。

以前あった公設市場は昭和23年5月に開設されたようだが、その公設市場として使われてきた建物(旧大屋根施設)が、戦時中、鳴尾浜にあった飛行機の格納庫として使われていた建物だったと言われてきた。(川西航空とか?中島飛行機とか?)

いよいよ取り壊される、そんな木造の大屋根の最後の姿の撮影会がひっそり行われた。

旧大屋根建物の撮影会

旧公設市場で使われていた飛行機の格納庫だと言われてきたその大屋根の建物は、建物の真ん中に柱がない構造になっているのを利用して、大屋根の下に複数の会社が入って使われていた。

今回、新市場開設とともに古い建屋はすべて撤去されることとなり、2023年11月26日(日)にこの大屋根施設の最後の撮影会が行われた。

撮影:久門理氏
撮影:久門理氏
撮影:久門理氏
撮影:久門理氏
撮影:黒木敦朗氏
撮影:黒木敦朗氏
撮影:黒木敦朗氏
撮影:黒木敦朗氏
撮影:黒木敦朗氏

本当に、飛行機の格納庫だったのか?

以前から都市伝説のように、西宮卸売市場の公設市場に使われている建物は「戦後、鳴尾浜の川西航空機から運んできた。」と言われてきた。

建屋の真ん中に柱のない、特徴のあるトラス構造の大屋根の建物は、その都市伝説に信憑性を与えて来た。

本当に格納庫だったのか?
どうしてここまで運んできたのか??

なかなか確証に辿り着ける話も聞けないまま、今日に至ったが、最後の撮影会の記事とともに一旦ここに、分かっている事実だけをまとめておこうと思う。

木造トラス構造の大屋根の建物の下には、いくつかの業者が入って仕事をしていた
東側から見た旧大屋根

戦争中、鳴尾浜にあった「川西航空機」は、現在は新明和工業になっていて特装車などが中心だったが、最近はまた航空機産業にも進出している。

そんな新明和工業にお話をお聞きしてみたが、「そのようなお話を聞いたことがある社員も見つからず、定かなことはわからない。ただ、川西航空機の建物の爆撃被害は甚大だったようで、そんな余裕はなかったのでは?? それと、川西航空機の建物は鉄骨だったようです。」というお返事だった。

西宮市のデジタルアーカイブなどの写真を見ても焼けただれた鉄骨の写真が多い。

真ん中に柱のないトラス構造の木造建物

建築に興味のある人にとっては、この木造のトラス構造というのはとても気になる建物だったようだ。

トラス構造とは・・・
三角形を単位とした構造骨組の一種。
大きな負荷がかかっても各部材がうまく力を逃がし、変形しにくい構造でドームなどの大空間や橋の架構などに用いられている。

写真提供:黒木 敦朗氏

この卸売市場の場合、一部鉄骨で補強している所もあるが、昭和23年に再利用が始まったとしても75年。

経緯はわからないが、物資の不足していた戦後、この柱のない大空間の建物を利用して、いくつかの業者がシェアする形で公設市場として機能してきたのは事実だった。

鶉野(うずらの)飛行場資料館を訪ねた

「本当に格納庫だったのか??」
なかなかいい情報が得られないまま、同行を申し出てくれた西宮流の読者とともに、河西市にある鶉野(うずらの)⾶⾏場資料館を訪ねたのは2022年7月だった。

鶉野⾶⾏場は、第⼆次世界⼤戦時、戦局が悪化しはじめた頃にパイロットを養成するために設置された旧⽇本海軍の練習航空隊の飛行場。
正式名称は「姫路海軍航空隊」だが、地元では鶉野⾶⾏場と呼ばれている。

戦時中、ここでは紫電や紫電改なども造られ、テスト飛行がされていたという。
そして、特攻隊の訓練場でもあったようだ。

加西市地域活性化拠点『SORAかさい』

その鶉野⾶⾏場跡地に、今は加西市地域活性化拠点『SORAかさい』が新しくできているが、この施設の開設につながった活動を長年されてきた上谷昭夫氏➡を鶉野飛行場資料館に訪ねた。

卸売市場の大屋根の写真を見ていただいたところ、非常に興味を示していただいたが、結局は確証までには至らなかった。

鳴尾にあった川西航空機の建物はほとんど鉄骨だったが 空襲で甚大な被害にあっている。
戦争末期に建てられた格納庫は木造が多かったと思われる。
加西の川西工場は神戸の中島組が造った。     
あの空襲を乗り越えて残った建物があったら、それは、その後の企業活動に必要な建物でもあったのではないだろうか?                
また、売ればお金になったのかもしれない。
写真を見る限り、姫路にある山口運送の倉庫として使われている、元格納庫の建物にとてもよく似ている。               
〈以上、上谷氏のコメント〉

※上谷さんのご活躍については、上で記した上谷さんのお名前のリンク先にある『すごいすと』から見てほしい。

この時、上谷さんがお引き合わせくださった、川西航空機で紫電改の油圧系の仕事をされていた方(大正15年生まれ)のお話は以下の通り。

川西機械製作所には飛行機部門・機械部門・衡器部門・精密部門があり、機械部門では日本毛織(ニッケ)向けの織機を作っていた。
格納庫と思われているのは、日本毛織(ニッケ)の建物ではないか??
(川西機械の創設者、川西清兵衛氏は ニッケの創業者でもある。)
トラスの組み方は、川西航空機の専属の中島組。
川崎重工の車両基地横にある、富士通テン(現 デンソーテン)の建物は、昔の川西航空の建物。

なにしろ古い記憶をたどってのお話でもあり、結局、ここでも確証は得られなかったが、いろいろ学びの多い1日となった。

鶉野⾶⾏場跡地にある加西市地域活性化拠点『SORAかさい』は、トラス構造を模した新しい建物。建物の中の紫電改の実物大の模型が目を引く。

後日、西宮の歴史に詳しい方と偶然この話になった。その方は、旧大屋根の格納庫説を全くご存知なかったが、こちらの話を聞いてこのような回答をいただいた。真相はわからないが、浜甲子園にあった海軍の飛行場の可能性もあるのかもしれない。

川西航空機は、残った建物で、なんとか生き延びようと企業活動をしているわけですから、あげる余裕などはないように思います。
格納庫だったという話を信じるとして、敗戦後の海軍の飛行場周辺から持ってきたと考えるのが順当だと思います。
そうすると、鉄道を使う必要性はなく、単にバラして直線的に北に陸送したと思えます。飛行機を隠した場所は、方々にあったようですね。
この屋根は、噂を信じるという条件付きで、戦後に今の浜甲子園団地の場所にあった海軍の飛行場から、または周辺の駐機場とかいろいろあったので、そこから陸路で持ってきたというのが私の考えです。
当時、鳴尾飛行場(海軍)には格納庫があり、飛行機が収納されていました。
また周辺には、飛行機を誘導、駐機する施設も点在していましたから、屋根付きもあったのかもしれません。

姫路市内では現役の資材倉庫として活躍中

上谷さんのおはなしの中にも出て来た姫路にある山口運送の建物については、実際に行っていないので、さまざまなところからの寄せ集めの情報となるが、この建物は川西航空機(姫路製作所)からの譲り受けが確かな建物のようだ。
ここはまだ、現役で活躍している建物になっている。

上谷さんがお持ちの資料の写真(山口運送の建物)
山口運送 
山口運送の外観
山口運送の内部

姫路フィルムコミッションのサイトにも下記のような記述があった。

現存する倉庫は、鶉野にあった2棟の格納庫のうちの1棟で、戦後、姫路の農機具会社が引き取ってこの地に移築。その後地元の工務店の資材倉庫となり、現在は(株)山口運送の倉庫として引き継がれている。
 建物は幅24m、奥行き33m、高さ11m。資料によれば紫電、紫電改ともに全幅は約12m、全長はそれぞれ約8.9mと約9.4mだから、この中に数機が収納できたのだろう。内部に柱や壁といった収納を遮るものはなく、とにかく〓だだっ広い〓。
 特に際だっているのが頭上高くに架かるトラス構造(三角形を組み合わせた骨組み)の梁で、規則正しい矩形の大空間を形づくるために天井を取っ払い、むき出しになったこの梁と外壁のみで巨大な屋根を支えている。

姫路フィルムコミッション

西宮の旧大屋根の詳しい図面はないようだが、おおよそ31メートル✖️18メートル、高さ8.6メートルくらいのようなので、上の山口運送の建物とほぼ同じくらいと考えられる。

格納庫だったかもしれない大屋根施設を残す活動

残念ながら、西宮の旧公設市場のこの大屋根施設は無くなってしまうが、その存在を残したい!という活動も始まっている。

『hototoki』は、西宮市の建築職員の有志会。  
この方々が、大屋根建物に使われている梁や壁などの木材の一部を保存し、今後、かつて存在した旧大屋根施設のことを語り継ぐ活動などもしていきたいと模索されている。

その第一弾として、2023年11月22日には、関係者が集まって旧公設市場の大屋根の下でこじんまりした「大屋根さよなら会」も企画された。

お別れ会の一コマ (古い写真を鑑賞中)

今回、西宮流が企画した撮影会での写真なども、今後の『hototoki』の活動の中で写真パネルとして活躍する予定。

新しくなった西宮地方卸売市場

事業者は10社となったが、青果の市場として顧客からの期待が高い西宮地方卸売市場は、真ん中の駐車スペース上部がすっぽりと大屋根で覆われていて、雨天時の搬出入にもとても便利。

おろいち
大屋根が特徴の新しい西宮地方卸売市場

そんな施設の特徴も生かして、今後は月に二回程度のマルシェイベントなども想定している。
屋根付きの大きな空間は、様々なイベントに魅力的だ!
公式サイトはこちら➡

  • おろいちマルシェ(毎月第2日曜 11:00-17:00)
  • おろいちひろば(毎月第4日曜 11:00-17:00)

<おろいちひろば>
地域の賑わいづくりとなることを目的として、イベント会場スペースとして貸し出す
フードイベントやキャラクターショー、季節のイベントなど、ご興味のある方は是非下記からご連絡ください。
お問い合わせ等はこちら➡

かつての卸売市場の写真集

JR西宮駅すぐ近く、2号線沿いにある卸売市場。少しだけ、引き込んでいたことや、市場が活気付くのが深夜から早朝ということもあって、一般の人の目にはなかなか触れる機会のなかった市場でもあった。

今回、最後の撮影会となったが、かつての写真をここに少し載せておこうと思う。
数年に渡って撮っているので、時系列がバラバラなのはご容赦ください。

卸売市場
白々明け始めると仕事は一段落・・・
卸売市場
卸売市場
卸売市場
バナナの専門店
卸売市場
魚屋もあった
卸売市場
アツアツの卵焼きは一個からも買えた
卸売市場
ネコ(一輪車)は働き者
青果のお店が中心だった・・・
卸売市場
卸売市場
いい香りの鰹節屋
おろいち
使いこなされた一輪車(ネコ)の手はつるつる
おろいち
夜に向けて、一輪車(ネコ)たちがスタンバイ
大勢の人が座ったのだろう・・・
卸売市場おろいちクイズラリー
地下にはバナナの室(ムロ)もあった
卸売市場
卸売市場 おろいち
朝ドラの撮影もあったね
卸売市場 おろいち
おろいち
おろいち
おろいち
おろいち
おろいち
秋まつりで賑わったことも・・・
卸売市場
国道二号線からのたたずまい

下記の写真は、昭和40年の住宅地図。
ここには、1926年(大正15年)に西宮で創業したカネテツの名前も見える。

1993年には、開場60周年を記念した「市場まつり」が盛大に行われた。
マグロの解体ショーやチャリティーセリなどで大勢の人で賑わったようだが、この二年後の阪神大震災で大きな被害を受けた。

卸売市場

情報提供のご協力お願い

これまでも、この「木造建屋が格納庫だったのか?問題」は興味がありながら、じっくり調べる余裕もなく今まで来てしまっていた。

今回、とうとう最後の雄姿をおさめる撮影会となってしまったので、これまでわかっている範囲で書き記してきたが、もし何か情報を持っておられる方がおられましたら、ぜひ情報をお寄せください。
情報提供は、こちらのお問い合わせからお願いいたします➡

投稿日時 : 2023-12-02 10:36:12

更新日時 : 2023-12-06 10:04:02

この記事の著者

編集部|J

『西宮流(にしのみやスタイル)』の立ち上げ時からのスタッフ。
日々、様々な記事を書きながら西宮のヒト・モノ・コトを繋ぎます。

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