2020(令和2)年9月1日~10月30日の間、西宮市役所一階の展示コーナーで「絵葉書にみる 甲陽園ー華やかなりし頃」と言う展示が行われた。
甲陽園を開発した甲陽土地株式会社が発行した「甲陽公園絵葉書」を中心に大正時代半ばから昭和初期における甲陽園を紹介している。
またこの展示の解説を次のラジオ放送で聞くことが出来る。
9月6日 | 西宮市本庁舎1階南側展示コーナー・アーカイブ西宮「絵葉書にみる甲陽園-華やかなりし頃」 出演:情報公開課歴史資料チーム 住田未絵さん | 9月6日放送を聴く(音楽ファイル(MP3):27,188KB) |
甲陽園の開発は1918(大正7)年に設立された「甲陽土地株式会社」の常務だった「本庄京三郎氏」により行われた。開発の大部分は住宅地であるが、大池の北側に広がる「甲陽公園」について紹介する。
甲陽公園の概要は、大池公園に掲示されている絵図で把握することが出来る。
甲陽公園の開発は、大池周辺に温泉、旅館、社交場、劇場、活動写真上映館、植物園、遊園地などを整備し、大人も子どもも楽しめ、大変なにぎわいであった。
このため、阪急電鉄は1924(大正13)年、夙川駅から甲陽支線を開発し、便利になったため、訪れる人も一段と増加し、大変な賑わいであった。
次の写真は「甲陽土地株式会社(カフェ・パウリスタ)」を中心にした、甲陽公園の大部分を見ることが出来る。
甲陽園駅を出ると、すぐに三角の甲陽遊園地西入口があり、その奥の大きな建物が甲陽劇場(現在は日商岩井マンション)です。
次の二枚の写真は【甲陽園】甲陽園の開発 甲陽公園(大正7年5月)|西宮市ホームページ (nishi.or.jp) に詳しい説明がありましたので引用した説明を参照願います。
甲陽園駅の改札を出て直ぐ右側に甲陽公園の西門があり、写真は改札口北側角にあった「甲陽百貨店」を写しています。その左、甲陽園通りを北へ向かう沿道に料理屋「花月旅館」、「つたや旅館」、土産物として人気があった乙女ゼリーを商った乙女茶屋が見えます。この道をさらに上がっていくとカルバス温泉(写真左の白い煙突)、甲陽土地株式会社経営の旅館「甲陽館」がありました。
公園内の大師通に旅館を営む本店、甲陽温泉前に海川魚料理やすき焼きの支店とみやげ物店の3店舗を構えた「喜楽」ですが、女性たちの間ではお汁粉が人気だったといいます。下の写真は甲陽公園の東門付近を写しています。門を入ってすぐ左の二階屋は旅館「菊水」です。菊水の茶碗蒸し、○長(まるちょう)のお寿司は人気があったといいます。
【甲陽園】甲陽園の開発 甲陽公園(大正7年5月)|西宮市ホームページ (nishi.or.jp)
地図を片手に甲陽園を歩いてみると、道路は変わっていないかと思われるが、目印となるものが以外と少ない。明確に確認出来るのは甲陽園駅と小孫料亭程度か。
地形から判断したいのだが、建物が建っているためなかなか元の地形を見渡すことが出来ない。現在の写真は大体の位置を示す程度で正確でないかも知れない。
ご了承の上、写真を参考にして頂きたい。
甲陽園の開発は本庄京三郎氏の甲陽土地株式会社が行った。その事務所が甲陽園の中心地に
建てられていて、大阪のカフェ・パウリスタの甲陽園店が併設されていた。
この建物は所有者は変わっていたものの、2016年まで残されていて、9月3日に「一日だけのカフェ・パウリスタ」を開催し、その幕を閉じた。
甲陽館は駅前から続く商店街の通りから左手、本庄土地株式会社の北の斜面高台に広がる大きな建物で、250帖の大広間があった。
現在は埋め立てられて住宅地になっているが、小孫池の周辺には北につる屋、南に小孫旅館、そして西に〇長旅館等が並び、小孫旅館の道路反対側南には数件の料理店や旅館・薬局等の店が並んでいた。遊園地の東入口はこれらの店の少し南に下がった所にあった。
阪急甲陽線の東には広場があり、東亜キネマ撮影所やスタジオがあった。
また、その奥には植物園や遊園地の遊具、小さな動物園などがあり、東の入り口近くには大つり橋が掛けられていて、その下には大すべり台があり、人気の遊園地となっていた。
2001(平成13)年に甲陽園自治協議会役員からの申し出で、甲陽園の古い写真50点の再現を生田富人氏に依頼され、この写真を元に「甲陽園今昔写真展」を甲陽園小学校や甲陽園市民館等で開催した。これらの写真をまとめて「甲陽園今昔写真集」を2016年9月に発行されている。
この地図を元に甲陽園を歴史散歩してみるのも楽しいかと思います。
ただし、この地図の大池は橋の掛かっているところから南西部と、左のでっぱり部分は埋め立てられており、現在は甲陽園小学校になっている。
昔の写真は西宮市歴史資料チームの提供による。