第12回西宮博物館・資料館連携講座 「西宮出身の画家・森狙仙と周辺の画家たち」
2013年12月4日(水)を聴講した感想をご紹介します。
今回は黒川古文化研究所の杉本欣久さんで、江戸時代の画家森狙仙(もり そせん・
寛延元年・1747~文政4年・1821)についての講座でした。
出身地については大坂や西宮や長崎という話が伝わっているのですが、家系をたどると、
もともと先祖は西宮の神呪村住人の橘氏だったそうで、狙仙の祖父が大坂に移住し、
父が画家となって森姓を名乗り、兄弟三人やのちにはその子供たちも画家となり、
「西宮ゆかりの画家」といったところでしょうか。
今回、狙仙のことについて書かれた文献をまとめた資料をいただきました。
『扶桑画人伝』(明治21年・1888)には「祖仙と名乗っていたが狙仙と字を改める。
始めは勝部如春斎に学ぶ。西宮の人で大坂に住む。猿の絵が素晴らしく、その他の
ものを描いた絵は見たことがない」
『浪速人傑談』(安政2年・1855)では「大坂の人ではじめ狩野派を学んだがのちに
写生的な猿の絵で有名となる。生きているうちから贋作が高値で取引されていたの
だから没後は言うまでもない」
『山中人饒舌』(文化10年・1813)では「近頃聞く大坂の狙仙というものは様々な姿の
猿を本物のように描くが、学がないので絵に趣が足りない」
資料から抜粋して簡単にまとめてみましたが、猿の絵しか見ないと書かれて
いますが、いくつかは襖絵など他の動物を描いたものが残っているそうで、
そのほかに当時流行した俳諧などの文学関連の書籍の挿絵画家としての作品が
いくつか見られます(写真下左)。
高値で売れる猿の絵は贋作が作られるとしても、こんな挿絵では贋作する理由が
ないだろうということで、若いころの売れない画家の仕事として本物であろうと
いうことですが、こういった書籍を研究する文学者は挿絵にはさほど注目しないし、
絵画の研究家は書籍の挿絵にはあまり関心を持たないということで、まだまだ
研究の余地はあるようです。
また現在、狙仙の絵といわれているものでも顔つきの迫力や毛並みの表現の
本物らしさなど、じっくり比べてみると怪しいと思われるものがあるし、
明治時代の絹地は江戸時代のものに比べて目が細かくなっているということ
などからも贋作を見極めることがあるということなども聞きました(写真下右)。
はじめに絵を学んだのが西宮の画家の勝部如春斎だったのはびっくりしましたが、
形式的な絵を描く狩野派の画法から変化して写実的な動物を描くようになったのは
同時代の円山応挙の影響を受けているのかどうか、興味深いところです。
西宮では黒川古文化研究所と甲東園の頴川美術館が作品を所蔵しているそうなので
機会があれば実物を見てみたいと思いました。
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次回は第13回西宮博物館・資料館連携講座
「近世酒造史研究を顧みて」 担当:白鹿記念酒造博物館
2013年12月25日(水) 13:30~15:00 白鹿記念酒造博物館2階 視聴覚室
聴講無料。入館料400円が必要。