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首を伸ばした土偶-館蔵の亀ヶ岡出土品をめぐって-

第10回西宮博物館・資料館連携講座
「首を伸ばした土偶-館蔵の亀ヶ岡出土品をめぐって-」
2013年10月23日(水)を聴講した感想をご紹介します。

講師は辰馬考古資料館の青木政幸さんで、講座のタイトルから土偶の変遷や
亀ヶ岡出土品の特殊性についての話かと思いましたが、じつは遺物の修復や
調査研究の発展についてといった内容でした。

2013.10.23.

今回の講座で取り上げた土偶は下左の写真のものですが(展示会チラシより)、
青森の亀ヶ岡遺跡から出土した縄文時代晩期につくられた土偶です。
中実(土偶の中身が空洞ではなく粘土が詰まっている)の作りと言われていたの
ですが、大きさの割には軽いので中実ではなく中空ではないかという疑問は
あったそうで、また前の所有者の工藤裕龍の報告図との相違も疑問でした。

工藤裕龍は幕末に津軽に生まれ校長や村長を務めた土地の名士ですが、
古代の土器収集や研究にとりくみ、この亀ヶ岡遺跡土偶は研究発表のために
雑誌に載せた報告図では片方の足と頭部のでっぱりのひとつがなく、さらに
顔の向きが180度違っているのでした。

一方、今伝わっている状態は完品の状態で、修理がなされたのであろうとは
判断できますがそれ以上のことは分からなかったそうで、平成17(2005)年に
X線写真を撮って、腕の接合や、本体は中空で修理で付け足された部分は
中実だったということがわかったそうです(下右写真・スライド投影を撮影)。

2013.10.23. 2013.10.23.

そこでX線写真からの情報や残された書類などを調べたことからわかる事実を
まとめてみると、以下のようなことが推測出来るようです。

明治21(1888)年頃に工藤裕龍がこの土偶を収集した時におそらく割れて出土して
いたので、一緒に破片の見つかっていた腕と頭をつなぎ合わせたらしく、体の
中央にある縦の線は背骨で肩から斜めに出ている線は肩甲骨の表現と判断して
顔の前後を決めたのではということです(接合の時に断面の不一致などなかった
のかと気になるのですが、わかりませんね)。
明治30(1897)年に研究誌に破片をつなぎ片足のない姿の報告図を掲載しました。

大正11(1921)年末以降に辰馬考古資料館が所有することになりました。
そして昭和35(1960)年に松原岳南が修理をしたと思われ、 この時代の研究では
体の中央に刻まれた縦の線は正中線(せいちゅうせん・体を左右対称に分ける線)
で腹側に表現されるものという認識になっていたので、欠けていた足などを
補う際にわざわざ首を切り取り前後を付け替え正しい向きに直したようです。
この首の付け替えの際の技法や接着剤(粘土?)の厚みにより、同時期の他の
出土品と比べても首が長くなってしまったということのようです。


この首が長くなってしまった土偶のほか、館蔵品の土偶が展示されているので、
ぜひ辰馬考古資料館にも足を運んでみて下さい。
平成25年度秋季展 「縄文文化と土偶」
2013/10/5(土)~12/1(日) 10:00~16:30 月曜休館(祝日の場合は翌日休館)
一般200円 大学生100円 高校生以下無料
http://www.hakutaka.jp/tatsuuma/2013-aki.html

 

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次回は第11回西宮博物館・資料館連携講座
「和鏡の文様 ―そこに込められた意味―」 担当:黒川古文化研究所
2013年11月6日(水) 13:30~15:00 西宮市立郷土資料館2F講座室 聴講無料

 

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