西宮の御台場

香櫨園浜にある西宮砲台が大正11年(1922)に国の史跡に指定されて100年となるのを
記念して特別展示が開かれ、今年6月23日に西宮市指定重要有形文化財に指定された
「西宮・今津御台場築造関係史料」が、全点初公開されています。
ここでは7月23日に開催された展示解説会に参加した様子を簡単にご紹介します。

第37回特別展示「御台場築造ー西宮・今津の砲台ー」
令和4年(2022) 7月16日(土)~8月28日(日) 月曜休館
10時~17時(入館は16時30分まで) 観覧無料
https://www.nishi.or.jp/bunka/rekishitobunkazai/ritsukyodoshiryokan/tokuten2022.html


「御台場」というと東京の地名が有名ですが、幕末に外国船の脅威に対処するため
全国各地に約1000基、そのうち大阪湾岸には約100基の台場(砲台場)が作られました。
ただ西宮砲台のような円筒形の建物(石堡塔・せきほとう)が作られたのは
西宮・今津・和田岬・湊川崎の4基だけで、今も残っているのは西宮と和田岬
さらに石堡塔を守る土塁(外郭・がいかく)も残っているのは西宮だけになります。
これはヨーロッパで実用されていた軍事施設のマルテロタワーをもとにして
作られましたが、日本で希少というだけでなくマルテロタワーの歴史のなかでも
一番最後に作られたものになるかもしれない貴重なものになるようです。

この砲台建設のために大坂町奉行所から派遣された役人が文久3年(1863)に記した
日記などの資料が今回市指定文化財となった西宮・今津御台場築造関係史料です。
設計図や作業方法を指示した図面、石材木材などの手配や工人の賃銀について、
近隣の町村といろいろやりとりをした書面、などから当時の様子が分かってきます。
【参考】和田岬・湊川砲台(台場)関係史料 (文化遺産オンラインHP)

結局一度も実戦で使われることはなく、明治時代には軍事施設ということで
国の所有となりましたが、明治40年頃に阪神電鉄に払い下げられました。
そのあとの香櫨園浜の海水浴場などと一緒に遊興施設の一部のようになった
ちょっと変わった様子が絵葉書や写真などで紹介されていておもしろいです。


展示解説の後は実際の砲台を見に行きましたが、台風被害などで傷みもあり
危険ということで、残念ながら内部の見学はできませんでした。
石堡塔を守る外郭が残っているということでしたが、波や風の影響を受けていて
削られたり埋もれたりと完全な状態では残っていません。
砲台の西側の少し盛り上がっているのが残っている外郭の一部になります。
設計図面から推測すると2mの石垣の上に2mの土を盛って4mぐらいにはなった
ようですが、今は高さ1mぐらいにしか見えません。


また昭和9年の室戸台風被害の後に外郭を大きく削るような形で防潮堤が作られ、
堤防内側の公園には外郭の北東部にあたると思われる石列が残されています。

石堡塔(砲台)そのものは見て分かりやすいのですが、外郭に関してはそんなに
重要なものとも思わず見過ごしていたので、説明を聞いて興味深かったです。

さくらFMの7月の「西宮徹底解剖」では学芸員が展示解説をしています。
8月には西宮市YouTubeチャンネルでオンライン講座の配信もあるようです。
暑い時期ではありますが展示を見てから現地へも見に行って、より深く西宮を
勉強してみる夏休みというのはいかがでしょうか?
また市民のみなさんの香櫨園浜や西宮砲台に関する思い出話や写真を集めて
パネル展示「西宮砲台のある風景」を秋に開催する予定だそうで、展示室前に
情報募集のコーナーがありましたので、そちらもぜひ参加してみてください。


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