調査団 古文書班・191226・浜東町の消滅

明治時代以降に何度か町名変更があり、今は浜東町という名前はありません。

下左図は江戸時代後期の西宮町の宅地の範囲の推定で、赤い範囲が浜東町です。
浜東町は特に拡大したからか、幕末の慶応2年には1~3丁目に別れました。
明治8年の地租改正の時に、浜東町とその北の東町とさらに北の与古道町までが
ひとつの町「字1号地」となり浜東町の名前がなくなります(下右図黄緑の範囲)。
ただ明治22年には大字として浜東町(はまひがしのちょう)1~3丁目が復活します。

次に大正14年の町名変更で、 これまで浜東町の北にあった東町が他の町と
一緒に「本町」になり、かわりに浜東町の場所が東町(ひがしのちょう)の町名に
なり、ここで浜東町の名前が消滅します。
下左図の黄色が東町3丁目、その東の青色が2丁目、その東の赤色が1丁目です。

そして昭和20年に空襲で焼けて、戦後の戦災復興都市計画で新しい道路を
作ったのが昭和35年の地図(上右図)ですが、道路や区画は新しくなったけれど
町界のラインがまだ昔のままで、なんか変な感じになっている状態です。
このあと昭和39年に新しい道に合わせて町界を移動させる調整をしたところ、
石在町が東へずれてきたので東町3丁目はなくなり、1・2丁目だけになりました。

大正14年の町名変更では資料に「ひがしのちょう」とルビがあり、今の町名は
「ひがしまち」と言いますが、どこで変わったのかはわかりませんでした。

-活動日2019.12.26.(木)  団員9名+学芸員1名 郷土資料館にて-

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