調査団 古文書班・190726・西宮町の変遷

江戸時代の西宮町の町名と今の西宮神社周辺から南あたりの町名はよく似ているので
昔から変わらないかと思ってしまいますが、微妙に違っているので注意が必要です。
宗門帳調査で出てくる町名について移り変わりを少し調べているところなので、
おおまかな流れをまとめて覚書としておきたいと思います。

江戸時代の西宮町は小さな町がたくさん集まった広い範囲を指しますが、その中でも
古くから栄えていた街道筋の「町方」と、その後酒造業などで発展してきた「浜方」に
分けることができます。
町方は、西宮神社の赤門から東へ延びる道沿いの釘貫町・中之町・鞍掛町・久保町・
石在町・東之町のほか社家町・馬場町・図子町・浦之町・宮武町・市庭町・浜脇町・
今在家町・与古道町です。
浜方は浜之町・浜鞍掛町・浜久保町・浜石在町・浜東町で、町方の町名の浜側という
ことでついた名前のようです。
江戸時代の西宮町については絵図が何点か残っていて、詳しく見るには
にしのみやデジタルアーカイブ「古地図」や『西宮市史』2巻付図や
西宮市立郷土資料館ニュース26号「西宮町浜図」などがあります。

明治になって地租改正のために全国で町名を整えるときに、西宮町のあたりは
東から西へ1号地~3号地と区分けされその下は番号で細かく分けられたようです。
ただ番号はわかりにくいということで、明治22年市制町村制実施の時に旧字名が
一部復活したりもしているようです。
そして大正14年に西宮町が西宮市になる時に町域町名の変更があり、赤門前の
道筋は本町という町名に改正されて江戸時代の町名はなくなりました。
明治以降昭和前期頃の地図は、西宮市立図書館の蔵書や西宮市情報公開課の資料を
いくつか確認してみました。

第二次世界大戦で空襲(5月11日・6月5日・8月6日) があったときの被災地域を
示したのが上の図で、国立公文書館デジタルアーカイブ戦災概況図西宮 」の
資料の一部を拡大しています。
戦後の復興整備計画では戦前から計画のあった第2阪神国道(国道43号線)の
用地を確保して、 町中に公園を作って、 特に浜方の南北に細長く伸びた不規則な
街並みが整理され 、などここで今の町が出来上がったようです。

参考資料
『西宮町誌』、『西宮市史』2巻   
『町名と祭りの話』山下忠男
『西宮復興区画整理誌』西宮市

-活動日2019.7.26.(金)  団員10名+学芸員1名 郷土資料館にて-

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