越水の水神社

越水浄水場の正門に向かって左側、震災記念碑公園の北側にある空地が
玉垣のような柵の段々の敷地で石段もあり、手水鉢のようなものがあるので
神社があったのかなと桜の通り抜けに行くたびちょっと気になってました。

たまたま西宮市情報公開課の方と会った時に「昔の写真に残っていませんか?」
と聞いてみたところ、丁寧にいろいろと調べていただきました。
今ちょうど越水浄水場の紹介記事が「西宮の昔の写真」にあがっています。
http://www.nishi.or.jp/contents/0004239900040004800085.html

この記事を読んだり関連の本を図書館で借りて読んでまとめてみると
・宮水を使っての酒造業が盛んだった西宮町では一般の飲料用水事情は厳しく
(宮水は飲み水には不向き)、衛生面の心配などからも上水道事業が必要と
されていたが、莫大な費用が掛かるためなかなか取り掛かれなかった
・酒造家の辰馬吉左衛門と八馬兼介の多額の寄付金によって着工可能になる
・大正12(1923)年7月24日、配水開始
・大正13(1924)年6月8日、水道竣工式典。この年に桜の記念植樹もあり
・大正14年(1925)4月、西宮市制がスタート
・昭和8年(1933)年、大社村・今津町・芝村と合併
越水浄水場の横にあった旧大社村東部水道浄水場を引き継ぎ拡張工事を進める
・昭和10(1935)年、丹後の籠神社から勧請し水神社を建てる
・平成14(2002)年、分祀した御霊をお返しして神社を閉める

と、確かに神社があったようで、上記の越水浄水場の紹介記事の最後の方の
昭和38年越水浄水場見取図には小さく赤い鳥居が見えますね。

大正昭和の出版物は旧漢字や仮名表示がカタカナだったりで読みにくいのですが、
大正12年人口約32000人の45%への給水からはじまり10年後の昭和7年には
人口約46000人の75%まで給水設備が整ったとか、家庭用水道料金の基本は
10立方メートルで今の半分だったのかと思ったり(あ、最近15立方メートルに
変わってましたね)、しっかり読めればなかなか面白いのだろうな。

 

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