国際博物館の日記念の文化財ウォーク「神原周辺の文化財をめぐる」 がありました。
朝降っていた雨も何とかやんで、集合の苦楽園口駅から名次神社へ。
当時の場所ははっきりしないながらも、奈良時代の万葉集に名次山を詠んだ
ものがあり、平安時代の書物の「延喜式」にも名次神社の名前があるなど
古くからの名勝だったようです。
少し北へ上がると、兵庫県指定天然記念物「満池谷層の植物遺体包含層」が
あり、このなかに黒っぽく見える部分が60万年前~20万年前の地層です。
そこに今なら高地に生息する寒冷性の松類などの実が確認されたことから、
西宮でも寒冷な時代があったことがわかるということが重要なのだそうです。
ふだんは敷地内へは入れませんが、郷土資料館に表面をはぎとった資料が
展示されています。
そのそばの大社中学校のグラウンドの片隅に、もともと苦楽園五番町にあった
「八十塚古墳群苦楽園支群第1第2号墳」が移築されています。
昭和40年の発掘調査の後に、古墳の石室の石を現在の場所に持ってきて
再現したので本物だけど作り物というなんだか微妙な状態のものなのですが、
ひとつの円墳の墳丘の中に石室が二つ作られているという阪神間には他に
例のない古墳だそうです。
道路から見ると、石室の屋根部分の石が見えている程度です。
さらに北には、これも移築古墳ですが「神園古墳群第1号墳」が整備されました。
かつては夙川学院構内古墳と呼ばれていたもので、昭和43年にグラウンドを
整備するときに見つかったものを発掘調査後に学校の敷地内の北の隅の方へ
移築していましたが、夙川学院から西宮市に寄付されたので史跡整備をして
今月から見学できるような状態になりました。
施錠されているので見学したい場合には郷土資料館に連絡しないといけませんが、
道路からでもすこしだけは見ることもできます。
朝雨が降ってウォークが終わるころにまた降り出しましたが、見学中はちょうど
雨が止んでいてよかったです。
こんな不安定なお天気でも参加者は40人ぐらいになっていて、やっぱり古墳は
人気があるのかなぁとちょっとびっくりしました。