第26回西宮市内博物館等連携講座 「天下普請を支えた採石丁場」
2015年2月18日(水)を聴講した感想をご紹介します。
採石丁場とは、織田信長や豊臣秀吉の頃から作られだした大きな城郭の石垣を
作るための石材の生産地で、石丁場や石切場などとも呼ばれているもので、
調査対象としては比較的新しいジャンルだそうで、講師の西宮市立郷土資料館の
森下真企さんから全国での研究と西宮での調査について紹介がありました
大坂城の石垣は昭和34年に総合学術調査が始まり、豊臣秀吉が築城した石垣は
今見えている徳川期の石垣の下に埋もれているのですが、自然石っぽいあまり
大きくない石を積んだものだそうで、これの採石地はわからないそうです。
徳川期の石に「あしや」の刻印が確認され、昭和43年には芦屋市の歴史研究団体
「芦の芽グループ」が芦屋山中で刻印石を発見し分布調査を進めるなどして、
徳川期の石垣用の材料を採取した神戸から西宮に広がる「東六甲採石場」の
研究が進みました。
ただその後は各市が芦屋市の調査を元にそれぞれに調査をしていたため、
平成17年から、兵庫県も合わせての全体的な調査をまとまってすることに
なったそうです。
西宮市域には甲山刻印群・北山刻印群・越木岩刻印群と刻印石がまとまって
残っている場所が三か所ありますが、甲山刻印群の中でもG地区と呼ばれる
場所の調査で新たなことがいろいろと分かってきたそうです。
ここは甲山森林公園の南端の方の木が生い茂ってなかなか調査のしにくい
場所だったので、飛行機を飛ばして3Dレーザー測量をおこなって、地形や
刻印石の所在などがはっきりしたのがどこから切り出してどのように運んだのか
などあらたな研究にとても役立つようです。
(この二枚の写真は参考資料で講座で使われたものではありません)
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次回は第27回西宮市内博物館等連携講座
「戦国史研究と家譜資料 -黒田孝高と「黒田家譜」-」
2015.3.4.(水) 13:30~15:00 講師:小林基伸(大手前大学史学研究所)