おかげ参り・おかげ踊り・ええじゃないか

第9回西宮博物館・資料館連携講座 「おかげ参り・おかげ踊り・ええじゃないか」
2013年9月18日(水)を聴講した感想をご紹介します。

今回は西宮市立郷土資料館の俵谷和子さんの解説で、今年式年遷宮で注目の
伊勢神宮にちなんで、越木岩神社の「御蔭踊り図絵馬」(西宮市指定文化財)などの
話をしてもらいました。

130918 130918 越木岩神社の「御蔭踊り図絵馬」

もともと天皇家の祖先である天照大神をおまつりした伊勢神宮は庶民が参拝するような
神社ではなかったのですが、鎌倉~室町時代のころには少しずつ武士の参拝がおこなわれ、
江戸時代には寺社に属して参拝者の案内や宿泊などの世話をする御師(おんし)という
人たちの活動が全国的に広まり、庶民に参詣のブームが起きました。

この集団での参拝が「おかげ参り」と呼ばれ、江戸初期には頻繁にみられたが、中期以降は
60年に一度その時期が来るというものになったそうです。

裕福な商家などでは自費で参詣できましたが、それが無理な庶民などは伊勢講をつくり、
メンバーで出し合ったお金で代表者が代参するような仕組みを作りました。
また奉公人や子どもなどが主人や親に黙って勝手に伊勢参りに行く「抜け参り」もあり、
参拝を止めることはばちが当たるとして黙認する気風もあったそうですし、お金がなくても
街道沿いの人たちの施行(せぎょう・参拝者への施し)でなんとか旅が出来ることもあった
そうです。

文政13(1830)年のおかげ参りの後には村の中でみんなで踊る「おかげ踊り」がはやりだし、
ただ踊るだけでなく大坂から踊りの先生を呼んで振り付けを練習したり、派手な衣装を
そろえたりして一種の娯楽のようになったようです。
このおかげ踊りを踊っている様子を描いたものが越木岩神社の「御蔭踊り図絵馬」で、
他にも兵庫・京都・奈良などにも同じような絵馬が残っているそうです。

60年を待たず慶応3(1867)年8月ころからおきたのが「ええじゃないか」で、三河あたりに
伊勢神宮のお札が降ってきてめでたいことだと人々が踊ったのが始まりだそうで、
伊勢神宮だけでなくほかの神様のお札や小判なども降ってきたという話も残っています。
西宮のあたりでは11月頃に伝わっていて、この不思議な現象は、幕末の世情不安な
時期に政治的な思惑で仕組まれたという説もあるということをはじめて知りました。

この講座を聞いて、まず江戸時代初めころから「おかげ参り」という行動があって、かなり後に
「おかげ踊り」が発生して、さらに幕末に「ええじゃないか」のブームがやってきたという流れが
わかり勉強になりました。

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次回は 第10回西宮博物館・資料館連携講座
「首を伸ばした土偶-館蔵の亀ヶ岡出土品をめぐって-」
2013年10月23日(水) 13:30~15:00 西宮市立郷土資料館講座室 聴講無料

 

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