第30回親と子の郷土史講座で西宮北部地域について知ろうということで
西宮のもう一つの顔 山口町の今昔 を北夙川小学校の小山先生に
山口町伝統の竹細工をつくろう を上ヶ原小学校の西本先生に教わりました。
<平成26年8月17日(日) 10:00~11:30>
まず、小山先生に山口町の歴史の大きなポイントをみっつ教えてもらいました。
一つ目は、古くから温泉地として有名な有馬へ行く途中だから山口という地名に
なった(有馬山の入り口)ともいわれるこの場所には、奈良時代の天皇が
有馬温泉へ来た時の仮の御所を建てたといわれています。
二つ目は、戦国時代に丸山城主だった山口五郎左衛門時角が荒木村重か
羽柴秀吉などに攻められて降伏したというものです。
秀吉はのちに火災で荒廃した有馬温泉の復興のために山口と名塩を直轄地に
しているので温泉好きだったのかもしれませんし、街道沿いの重要な土地と
思って自分で支配しようと思ったのかもしれません。
三つめは、山口にあった鉄道で、三田と有馬を結ぶ国鉄有馬線が大正3(1914)年に
開業しましたが第二次大戦中の昭和18(1943)年に廃止になり、資材は国鉄篠山線の
建設に転用されました。
線路跡は道路になっていたり、公智神社のそばに駅前橋という名が残っていたり、
わずかながらもその痕跡をたどることができるそうです。
鉄道がなくなってからは大きな変化は見られませんでしたが、高速道路の建設や
JR西宮名塩駅の開業による宅地開発などで、近年急激に人口が増えたそうです。
続いて西本先生と、山口町で竹細工を広めるなどの活動をされている方たちに
竹細工作りを教わります。
山口の竹細工、船坂の寒天、名塩の和紙が西宮北部の伝統産業ですが、竹細工は
生活の身近な道具としてだけでなく、有馬の土産物だったり、明治時代には
軽くて丈夫なので海外輸出用の容器としてたくさん作られていたそうです。
かごを編んで完成させるのは大変なので、今回は風車づくりに挑戦しました。
4本の竹ひごを井桁に組んで一本ずつ編み込んでいき、ある程度形が編み上がれば
少しずつ引き締めて形を整えて中心が出来上がりますので、あとは和紙などで
羽をつけてから軸に留めて完成しました。