灘の酒造りに欠かせないものの一つに「宮水」がある。
「宮水」とは「西宮の水」と言う意味で、六甲山系に降った水が花崗岩層をくぐり抜ける間に不純物が取り除かれる。赤道を通過しても腐らない水、と重宝されている神戸の水としても知られている。この水が伏流水としてかつて海であつた西宮の地下を流れる間に、かつて海底にあった貝殻層を通る間に、豊富なミネラル分を含み、酒造りに最適な宮水となる。
宮水の発見は「櫻政宗」の「梅の木井戸」に始まる。
伊丹の「荒牧屋」という屋号で酒造りを始め、西宮と魚崎に蔵を持つまでに成長した。
櫻正宗の当主は代々山邑太左衛門の名を継いでいるが、6代目太左衛門の時代に西宮の「梅の木蔵」で作る酒は夏が過ぎ、秋口になってもますます味が冴えるのに対し、魚崎で作る酒は夏が過ぎると味が落ちることに疑問を持った。
そこで西宮で使う材料や杜氏を魚崎で使って酒造りを行ったが、改善されなかった。
試行錯誤の末、梅の木蔵に湧き出る井戸水を牛の背にのせ、魚崎に運んで酒を造った所、西宮と同じ味の酒を造ることが出来たので、味の違いは水にあることを発見した。
当初は太左衛門がわざわざ西宮から水を運んで酒造りをしていることを笑っていたが、酒の出来栄えを見てやがて灘五郷の全ての酒蔵が西宮の宮水を使うようになり、現在に至っている。
一時は宮水は遠く広島の酒蔵まで樽に詰めて運ばれて使用されていた。
この梅の木蔵にあった梅の木井戸には現在「宮水発祥之地碑」が建てられている。
この話は「にしのみやデジタルアーカイブーふるさと昔話」の「宮水の発見」アニメで紹介している。
また西宮観光協会では「宮水と酒文化の道〜にしのみや酒蔵案内銅板巡り〜」で宮水と酒造りに関する話を西宮郷、今津郷のあちこちに掲示している。