ニテコ池は、南北に並ぶ3つの溜池で、このあたりは真土が採れ、室町時代に西宮神社の大練塀を作るときに使用されたという。
土を掘り出した跡に水が貯まり、池になったと言われている。
また、その掘った土を神社に運ぶ際の「ネッテコイ、ネッテコイ」という掛け声から“ニテコ”となり、この池をニテコ池と呼ぶようになったという説がある。
池の西の小高い丘が名次山>>で、その一番北に名次神社>>がある。
元々、名次神社があったのは今の西田公園あたりだったと言われているが、現在の地に祀られるようになったのが明治時代。
ここは野坂昭如の「火垂るの墓」の原風景としても有名。
野坂昭如氏が生活した防空壕もこの辺りにあったことが確認されている。
2019年、これらの状況を調べ「火垂るの墓の記念碑」を建立したいと活動しているグループもある。➡︎
2020年6月7日 『火垂るの墓記念碑』の除幕式が行われた➡
またこの名次山の一角には、松下幸之助氏が住まわれていたが、建築されたその邸宅は光雲荘(こううんそう)といい、現在は枚方に移築保存されている。
近年は池の周りもマンションが増えて来たが、今でも静かな池の周りはウォーキングやランニングをする市民の姿も多く見える。
阪神淡路大震災でも大きな被害があったが、2009年に西宮夙川ロータリークラブが震災復興を記念して池の周りに桜が植えられている。
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