<万葉集に詠まれた一首>
・我妹子に 猪名野は見せつ 名次山 角の松原 いつか示さむ(3・279) 高市連黒人
訳:わが妻に猪名野は見せた。名次山や角の松原はいつになったら、見せてやれるだろうか。
古代の西宮あたりは、名次山のすぐ近くまで海が入り組んでいたと言われている。
歌に読み込まれている「角の松原」というのは、この海の津門の入江のところが角のような地形になっていたのではないかと考えられている。
名次山は「摂津名所絵図」の中に名次岳として書かれていて、古くから景勝地だったようだ。
2011年(平成23年)から行われた文化庁の調査で、西宮の名勝地7箇所の中の一つに選ばれている。
現在、この地に名次神社>>があるが、ここに鎮座したのは明治41年。
名次山の一角に、松下幸之助氏>>が住んでいた時期があった。
1914年に建てられた邸宅は光雲荘(こううんそう)や名次庵(なつぎあん)と呼ばれており、光雲荘は2008年にパナソニックの枚方の研修施設の一角に移築保存されている。