香櫨園地域は近くに古墳や遺跡が多く発見されており、古くから人々が暮らしていた地域であった。
1907(明治40)年に大阪の商人の香野蔵治と櫨山喜一の二人によって、現在の阪急夙川駅の南、片鉾池の辺りに「香櫨園遊園地➡」が開かれた。遊園地が繁栄した時期は短く、6年余りで閉園となったが、その後住宅地として開発された。
また、御前浜には「香櫨園海水浴場➡」が開かれ、非常に賑わった。
この地域には夙川を挟んで小学校、中学校、高等学校、大学等が集まっており、美術館や資料館、中央図書館等もあり、教育環境が整っている。
阪神香櫨園駅の東岸を南に少し下ると、左に「西宮市中央図書館」がある。この建物には「市立郷土資料館」と「西宮市平和資料館」並びに「市民ギャラリー」が併設されている。
酒蔵通りを西に、夙川の土手を上がると新翠橋にあたる。その手前の土手下に、1896(明治29)年に川添町から移転してきた「夙川病院(夙川診療所)」があった。夙川縁にあったので、夙川診療所と呼ばれていて、大正時代には建物の増改築や設備の増強も行われた。
1985(昭和60)年に、この夙川診療所後に「西宮市教育文化センター」が開館した。六湛寺町にあった「市立図書館」が移転してきて、「郷土資料館」や「平和資料館」も併設された。
西宮市立郷土資料館は、西宮地方の歴史と文化財を実物資料で知ることができる、唯一の施設です。収蔵資料は約4万点。
西宮市HP 西宮市立郷土資料館
満池谷層の植物遺体包含層(県指定天然記念物)、具足塚古墳出土品(市指定重文)、永正15年(1518年)銘石造一石五輪塔(市指定重文)、江戸時代の宿駅生瀬家並模型、江戸時代西宮から江戸へ酒を運んだ樽廻船模型、大正・昭和初めの香櫨園・苦楽園・甲陽園の絵葉書など、約250点を常設展示しています。
また、企画展示・特集展示・講座などの催しのほか、市民ボランティアによる市内の文化財調査、西宮市内の博物館・研究機関と協働開催する連携
講座などを実施しています。
西宮でも空襲があったことをご存知でしょうか。重要工業都市西宮(当時の鳴尾村を含む)では昭和20年(1945年)3月から8月にかけて、10回の空襲を受け、多くの方が亡くなりました。このような西宮での戦争被害について、風化させないよう次の世代に語り継いでいく役割を果たすとともに、市民が戦争の悲惨さと平和の大切さを学ぶ場とすることを目的として、平成14年(2002年)に「西宮市平和資料館」を開設しました。
西宮市HP 西宮市平和資料館
桜の名所、夙川のほとりにある中央図書館は、西宮市立図書館として、昭和3年9月、西宮市役所本庁舎南側(現在、市民会館が建っているところ)にオープンし、昭和40年8月、市民会館建設のため、現在市役所南館が建っているところに移築、昭和60年に現在の場所へ移転しました。
西宮市HP 西宮市立中央図書館
中央図書館では、清酒・福神関係の資料を始め、郷土に関する資料や開館当初からの新聞、明治以降の雑誌創刊号を集めた秋山コレクションといった貴重な資料を多数所蔵しています。
施設の特徴としては、天井が高く、採光豊かで開放感あふれる開架室の他、視聴覚コーナーや学習室も備え……。
阪神香櫨園駅の東南、国道43号線の南側に「西宮市大谷記念美術館➡」がある。
1971(昭和46)年に故大谷竹次郎氏が長年にわたって蒐集した美術作品と宅地を西宮市が寄贈を受け、広く一般に公開するため、1972(昭和47)年11月3日(文化の日)に開館いたしました。
西宮市HP 西宮市立大谷記念美術館
日本とフランスの近代絵画を中心とした当初のコレクションに加え、版画や地元作家の作品の蒐集にもつとめ、現在では1100点を超える作品を収蔵しています。毎年行われる「イタリア・ボローニャ国際絵本原画展」は、子供たちからお年寄りまで幅広い年齢層の来館者があり、多くの人々に楽しまれ、親しまれる展覧会として有名です。これら以外に毎年2-4本の企画展が開催されています。
現在の美術館本館は1991(平成3)年にオープンしたもので、ロビーから正面に眺める「池泉回遊式庭園」は昭和の関西を代表する「造園家・荒木芳邦(荒木造園設計)」の作庭による。
「公益財団法人辰馬考古資料館➡」は「辰馬悦蔵翁」(1892~1980)が1976年に設立した博物館で、展示資料は、考古遺物と鉄斎作品の二つから成り立っており、春季展・夏季展・秋季展と、季節ごとに展示を行っている。
なかでも「銅鐸」のコレクションは質・量ともに日本有数のものである。
また日本画家「富岡鉄斎」の家蔵品コレクションでも知られている。
常時開館していないので注意が必要。
美術館や資料館の紹介は掲載の難しい物が多く、紹介仕切れていないが、興味のある方は是非現地を訪れて頂きたい。
古い写真は西宮市歴史資料チーム提供による。