市の西の方を流れる二級河川。
夙川は、もともと「宿川」であったとも言われている。
源流は剣谷山(通称:ゴロゴロ岳 標高:565.6m)から流れる剣谷川で、香櫨園浜に注ぐ。長さ約7~8km。
河口から遡ること約4キロにわたっては、夙川河川敷公園として整備されている。
夙川河川敷公園についてはこちら➡
阪神間には川の上にある駅が多く見られるが、阪急夙川駅と阪神の香櫨園駅は夙川の上に駅舎がある。
夙川の堤には古くから松が植えられていた。
周辺の田畑が開発され始めたのは、明治38年(1905)の阪神電車の開通がきっかけ。
明治40年(1907)に香櫨園駅ができ、その後大正9年(1920)には阪急神戸線が開通して夙川駅ができた。
長年の夙川河川敷整備の要望がやっと認められ、1932年(昭和7年)から1937 (昭和12)年、受益者負担金も活用して事業費が作られた。
工事中には、台風や水害によって大きな影響も受けたが、1938年(昭和13年)7月の阪神大水害では、夙川だけが大きな被害を受けなかったという。
苦楽園口あたり
その後、1949年(昭和24年)には1,000本の桜の若木が桜博士と呼ばれる笹部新太郎氏の指導のもと植樹されたが、実は笹部新太郎氏はソメイヨシノを好まなかったと言われている。
夙川の春の景観は、この松の緑と桜のピンクが織りなしている。
街の中にありながら、自然豊かな夙川にはたくさんの種類の鳥や魚などの生き物の姿も多いが、カワセミもよく見かける。
特に 木々の葉が少ない冬の間は観察するのに適している。
国道2号線から南へ、河口までの1.3キロの間を夙川オアシスロードと呼んでいるが、昭和46年に設置れた。
最初は、夏休みの1カ月間だけの歩行者天国だったが非常に好評だったことから始まったという。
歩行者天国の時の様子はこちら➡︎
オアシスロードは、今も市民の憩いの場となっている。(2021年はオアシスロード 50周年)
阪神淡路大震災後、西宮の子供達へと贈られたたくさんの鯉のぼりが地域の人たちの手によって泳ぐ様も風物詩となっている。
また近年は、阪急甲陽線の鉄橋下あたりでホタルも見られるという。
鯉のぼりがいっぱい 阪急甲陽線
夙川の近くは、多くの財界人や文豪など有名人が住むエリアでもあった。
このエリアは文学作品の舞台にもなっている➡︎
西宮が聖地となっているアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』『長門有希ちゃんの消失』の舞台にもなっている。
夙川の河口、臨港線にかかる浜夙川橋から見たこの風景は、西宮でも有数の写真スポットになっている。
桜を待つ季節 クスノキの赤い新芽がきれいな季節