苦楽園の小・中・高校

苦楽園

瀬戸内から遠く紀州まで望めるこの地は、古代の豪族にとっても永眠に恰好の地であったのか、八十塚」と呼ばれるほど古墳が多くあった➡。
明治末期にはラジウム温泉➡が発掘され、共同温泉場や旅館・ホテルや著名人の別荘があちこちに点在し、地上の楽園かと思われる繁栄振りであった。
しかし1938(昭和13)年の阪神風水害で鉱泉も枯れ、再び森の中の住居が点在する静かな住宅地となった。
戦後交通の便が良くなるにつれて、町内に小・中・高校を抱える大住宅地になる一方で、古い家屋が取り壊されて新しい家が建ち、隣の芦屋六麓荘と並んで高級住宅街となっている。

苦楽園小学校

苦楽園二番町にある苦楽園小学校苦楽園中学校と西宮北高とに隣接して建てられている。
終戦後、経済の復興とともに、住宅が森の中に点在する程度の街から、大阪湾が展望出来る、静かな環境が好まれ、多くの住宅が建てられて人口が増加してきた。
人口の増加と共に就学する子供も増加し、それまでの校区である北夙川小学校では収容しきれなくなった。
そこで1976(昭和51)年4月1日西宮市立苦楽園小学校として北夙川小学校より分離独立して開校された。

苦楽園小学校の校門

 本校は、大阪湾が一望できる高台にある学校です。その眺望を本校区に長年住まわれた山口誓子氏が「初凪の一湾 海の門まで見ゆ」と読まれています。
 ノーベル物理学賞を受賞された湯川秀樹博士が、中間子論を考えられたとき、本校区にお住まいでした。それを記念して、「未知の世界を探求する人々は 地図を持たない旅人である」と記された記念碑が本校校門横にあります。
 先人たちの偉大な足跡の地にある本校は、「一人一人の子どもの個性や可能性を伸張して、社会に奉仕できる、心ゆたかな創造的実践人を養う」という学校教育目標の達成を目指し、『自己学習力』『総合的な学習の時間』を他校に先駆け取り組んでまいりました。

西宮市立苦楽園小学校 校長室より
坂の途中に立つ校舎
小学校の校舎群

小学校の正門を入ると右手直ぐに湯川秀樹博士の「中間子論誕生50周年記念碑」が設置されている。
1985(昭和60)年11月2日に除幕式が行われた。
湯川秀樹博士は1949(昭和24)年、日本人で初めて「中間子論」でノーベル物理学賞を受賞した。
博士は三笑橋の近くに住んでいたが、よく散歩しながら中間子論を考え付かれたと言われている。苦楽園小学校の近くまで散歩しており、特にここからの景色が好きであったと言われている。
記念碑は博士の教えを受けた人々によって建立された。

正門を入ると右側に「中間子論誕生記念碑」がある

小学校の多目的室に、湯川秀樹記念館が設置されている。

多目的教室内の湯川記念館の案内
湯川秀樹博士と西宮市の関係説明


博士の書かれた自伝「旅人」の中に、家の東北方向、丘を登りきると大きな池があり、池の向こうに石造りの建物がポツンとある、と書かれている。

三笑橋近くの湯川博士が住んでいた家
湯川博士自伝「旅人」に書かれているゲンコツホテル

苦楽園中学校

苦楽園中学校の学校長のメッセージに次のように記されています。

 本校は昭和49年お隣の大社中学校のマンモス化解消のため、西宮市の第13番目の
中学校として創立されました。校区は南北に広く、生徒たちは毎日坂道を登って登
校してきます。3年間通い続けるだけでも心身を鍛えることができる学校です。

西宮市苦楽園中学校 学校長から

夙川小学校、北夙川小学校を校区とし、西宮市の第13番目中学校として1974(昭和49)年に大社中学校内に誕生し、同年現在の新校舎に移転した。

新しく誕生した苦楽園中学校の校舎(昭和49年)

校 是 「克 己」を、校 訓「立 志」「開 拓」「創 造」を掲げ、「心豊かで心身ともに逞しい生徒の育成」を目標としている。
1975(昭和50)年には第一回競歩が行われ、男子は山口中学校までの30㎞、女子は船坂小学校までの20㎞を歩いている。

元気の素は歩くことから(昭和51年)
屋上に完成したプール(昭和49年)
北側からの校舎

1997(平成9)年に震災復旧改築工事が竣工するとともに、新しい体育館が道路を挟んだ苦楽園小学校の東側に建設され、その後渡通路の陸橋も設置された。
学校の沿革を見ると体育関係の行事が多いが、近年英語や読書等の教育にも力を入れており、2012(平成24)年には「西宮市学校の情報化推進モデル校」の指定を受けている。

渡通路を通って体育館へ
校舎からは西宮の市街が見える

写真撮影のため校舎周辺を歩いたが、中から元気な声が聞こえており、快活に授業が行われている様子が伺えた。

苦楽園中学校の正門入り口

西宮北高等学校

西宮北高等学校は1971(昭和46)年に西宮西高等学校を仮校舎として設立された。
そして翌年、現在の苦楽園校舎に移転した。

西宮市街地の北西部高台に広がる県立西宮北高等学校は、大阪湾を中心とする瀬戸内海が見渡せる位置にある。高等学校の特徴は下記の学校長挨拶に示されている。

本校は、地域の皆さまの大きな期待を背負い、昭和46年4月に全日制普通科高校として誕生しました。時代のニーズに合わせ少しずつその姿を変え、現在は、総合社会類型、社会探求類型、科学探究類型を設置して、生徒の力を最大限伸長させることができる魅力と特色に溢れた教育活動を推進しています。 本校の校是である「生活は質実素朴に 心は高く豊かに」という精神が北高では脈々と受け継がれ、「遠白し 瀬戸内の海」と校歌にあるように、大阪平野や瀬戸内海を臨む絶景のもとで、生徒は、学業はもとより冬季生活訓練合宿(スキー修学旅行)や北高祭などの学校行事、部活動等全てのことに素直に、そして全力で取り組んでくれています。

兵庫県立西宮北高等学校 学校長あいさつ
建設中の西宮北高(昭和46年)
西宮北高等学校の正門
北側のハルヒ坂に面した校門
グランドの見える北側車門

西宮北高は同校卒業生の作家・谷川流➡が同校の校舎や階段・グランド等をモデルに「涼宮ハルヒの憂鬱➡」シリーズで紹介したことで有名になった。
アニメの聖地巡りの先駆けともなった聖地で、学校北側の坂は通称ハルヒ坂と呼ばれている。

テレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」より
(c)2006 谷川 流・いとうのいぢ/SOS団
(c)2007,2008,2009 谷川 流・いとうのいぢ/SOS団
アニメの聖地となったハルヒ坂
アニメでSOSの文字が書かれたグランド

西宮北高にも少子化の影響が押し寄せてきている。2025年度の西宮甲山高校と統合して新高を作る計画が発表された。
両高の関係者が集まり、4回の会合を重ねて、西宮北高の校舎を統合学校とすることに決定した。

これまでに県教委や市教委、両校の校長教頭と学識経験者による検討委員会が4回の会合を開き、新しくできる高校の学校像について議論。初回会合では両校が自校紹介のプレゼンテーションを行い、西宮北高の委員は教育課程や授業の特色、進路の状況などに加え、学校とハルヒとのつながりも紹介した。教職員や生徒へのアンケートでも、ハルヒへの愛着をうかがわせる記述が複数あった。
 県教委が17日発表した基本計画では「通学の利便性が高い」「教室や体育施設も充実している」など新しい学校の用地に選ばれた背景が明記された。
 西宮北高の宮本美枝子校長は、ハルヒファンからの声について「どのような形であっても本校を愛していただけるのはうれしい」とし、統合でできる新校について「西宮甲山高の関係者と知恵を出し合い、新しい学校が素晴らしいものになるよう準備を進めたい」と話している。

2022/11/17 22:15
神戸新聞NEXT
ハルヒの北高、消失せず 県立高校再編で統合対象の西宮北高校、校舎・施設は存続へ

昔の写真は西宮市歴史資料チームの提供による。

投稿日時 : 2023-07-16 14:19:17

更新日時 : 2024-02-29 12:19:24

この記事の著者

ライターT

西宮流(にしのみやスタイル)の中の『西宮ペディア』を主に担当しています。
西宮市の歴史や街並みに興味深々です。

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