「野球の聖地」という言葉で語られる甲子園球場は、青空やナイター照明の下にグリーンの芝生と内野の黒土がとてもきれいな球場だ。
そして阪神電鉄所有の阪神タイガースの本拠地であり、高校野球の開催地でもある。
今から100年前の1924年(大正13年)8月1日に「甲子園大運動場」として誕生した。
十干十二支で「甲(きのえ)子(ね)の年だったので、そこから「甲子園」と名付けられた。
しかし、最初は「甲子園球場」ではなく「甲子園大運動場」だった。
2024年の球場100周年を迎えるにあたって、これまで甲子園球場にまつわることで書いてきた西宮流の中の記事から歴史や写真、小ネタをまとめてみた。
2024年の夏の大会 第一日目の午前の部で記念品の配布
記念すべき甲子園100周年の年に開催する第106回全国高等学校野球選手権大会の大会第 1 日目の「午前の部」に入場した人に「甲子園の土」が入ったキーホルダーが配布される。
【配布予定日】
第106回全国高等学校野球選手権大会の大会第 1 日の開門から第1試合5回裏終了まで
【配布対象】
第106回全国高等学校野球選手権大会の大会第1日の「午前の部」の入場券をお持ちで、
開門から第1試合5回裏終了までに入場された方
※開会式が行われる第1日の「午前の部」が順延の場合、記念品も順延した部に配布いたします。
2024年の夏の高校野球大会は二部制(午前中と夕方)を導入
近年の猛暑対策としてこれまでもいろいろ工夫はされてきたが、2024年8月7日に始まる夏の大会では大会1日目から3日目までの三日間に限り、午前中と夕方の二部制の導入が決まった。
第1日は開会式を昨年より30分早い午前8時半に始め、第1試合は午前10時から始める。
第2試合は開始を午後4時とし、第2、第3日は午前8時から2試合を実施し、午後5時から第3試合を開始する。
【第4日以降、第12日の準々決勝まで】
第1試合 午前8時
第2試合 午前10時35分
第3試合 午後1時10分
第4試合 午後3時45分
【第13日=準決勝】
第1試合 午前8時
第2試合 午前10時35分
【第14日=決勝】
午前10時
甲子園球場が誕生した話
甲子園球場は、野球熱の高まりとともに、それまでの球場では観客が収容しきれなくなり、現在地に建設されたのが始まりだった。
当時、まだ牛に荷物を運ばせていた時代の中で、5か月ほどの突貫工事だったという。
完成した1924年が60年に一度巡ってくるという、 十干十二支の甲子年(きのえねとし)だったことから「甲子園大運動場」という名前になった。
最初は、野球だけでなく他のスポーツの開催も視野に入れていたのだろう。
その後、甲子園大運動場→甲子園球場(1929年?)→阪神甲子園球場(1964年)と、施設名が変遷してきた。
甲子園球場は、元々、高校野球の開催を目的に建設された。
1915(大正4)年に豊中球場で始まった全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)は年々人気が高まり、球場が手狭になったことから1917(大正6)年の第3回大会からは、西宮市(当時は鳴尾村)の鳴尾運動場に場所を移したが、そこでも収容しきれなくなり、新しい球場を造る必要ができた。
大正12年に鳴尾球場で開催された第9回全国中等学校優勝野球大会で、鳴尾球場に近い甲陽中(現在の甲陽学院)が決勝戦で和歌山中と対戦し優勝したことあって、大勢の観客が押し寄せたようだ。
<甲陽中は1923年(大正12年)~1938年(昭和13年)までの間に、春夏合わせて12回出場していたようだ。(この頃は兵庫県枠があった。)>
このために主催者の大阪朝日新聞が、鳴尾球場を所有する阪神電鉄に本格的な野球場の建設を提案し、当時阪神電鉄が所有していた廃川となった枝川・申川の埋め立て地に甲子園大運動場として竣工した。
甲子園球場は水はけがよいことで有名で「元の川の上にできているから…」と言われたりもしているが、甲子園歴史館に行くと球場のグラウンドの構造なども見ることができ、水はけのよいグランド造りもわかる。
甲子園の前に使っていた鳴尾運動場は、1907(明治40)年に完成した関西競馬場(後の鳴尾競馬場)のなかにあり、陸上競技用トラックやテニスコートなどとともに二面の野球場があった。
(鳴尾競馬場はその後飛行場となり、現在は武庫川女子大学の付属中高校や住宅地となっている。)
現在は浜甲子園運動公園の一角に記念碑が建っている。
写真で見る甲子園球場と周辺の変遷
西宮市情報公開課保存資料からお借りした画像も活用して、懐かしい時代も遡ってみよう!!
高校野球の聖地と阪神タイガースの本拠地
元々、高校野球の開催を目的に建設された甲子園球場は、第十回大会(1924年大正13年)から高校野球の開催地となり、今では「野球の聖地」とも言われている。
高野連の大会小史を見ると、収容人数が増えた甲子園球場でも大会3日目には満員となり「入場お断り」の掲示が出たという。
増え続ける観客の為に、1929年には内野スタンド内部改装して貴賓室新設。
また東西にあった20段の木造スタンドを鉄筋コンクリート50段にした。この時に「アルプススタンド」の通称が付いたようだ。
現在の銀傘は内野席の部分だけだが、近い将来アルプススタンドまで延長することがすでに発表された。実は、1931年にはアルプススタンドの上にも鉄傘の大屋根があった。
当時は、鉄製だったので鉄傘(てつさん)と言われたが、戦争中に鉄の供出で一時は屋根がなくなり、その後ジュラルミンやガルバニウム鋼板となり現在は銀傘(ぎんさん)と呼ばれている。
プロ野球の阪神タイガースの本拠地となったのは、フランチャイズ制が暫定導入された1948年(昭和23年)。
当時の大阪タイガース(現在の阪神タイガース)の専用球場となった。
阪神タイガースの誕生は1935年。大阪タイガースとして創設されている。
創設者は外山脩造氏。戦前の球場前には外山脩造の銅像があったが、これもまた金属供出で上の銅像がなくなったまま、戦後も長い間台座だけがあった。
また、阪神タイガースの応援歌は1936年に「大阪タイガースの歌」として誕生したが、その後球団名の変更により 「阪神タイガースの歌」 となり、現在は「六甲おろし」という通称で愛されている。
この 「大阪タイガースの歌」が初めてお披露目されたのは、現在の武庫川女子大甲子園会館(旧甲子園ホテル)の西ホールだった。
12球団の球団歌の中では、最古の楽曲だという。(古関裕而氏作曲)
古関裕而と言えば、2020年4月から始まったNHKの朝ドラ「エール」の主人公のモデル。このドラマの終盤には、歌手の佐藤久志役の山崎育三郎さんが甲子園球場で夏の甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」を歌い上げるシーンもあった。
甲子園球場は、様々なドラマや映画のロケ地にもなっている。
甲子園球場のツタのエピソード
甲子園球場の特徴の一つは球場のコンクリートの壁面を覆っていたツタだろう。
1924年に植えられたようだ。
2007年~10年にかけて行われた「平成の大改修」は、このツタの伐採から始まった。
このリニューアルに伴って、球場側は「ツタの里帰り計画」を発表した。
実は2000年の夏、20世紀最後の選手権大会を記念して、日本高野連、朝日新聞、阪神甲子園球場から、当時の高野連加盟校全4170校に「甲子園のツタ」が贈られていた。
甲子園球場のリニューアルに伴って、その時贈られたツタのうち、元気に育った233校から甲子園に「ツタが里帰り」する。
それとは別に、移植して育てていた以前のツタも一緒に順番に植えられた。
球場の外周を歩いてみよう!楽しい見どころスポット紹介
球場の正面のレリーフから、周りを球場を左手に見ながら外周を一周してみよう!!
球場の正面の3枚のレリーフ
平成の大改修後、ガラス張りの壁面となった下には武蔵野美術大学の脇谷徹氏作の3枚のブロンズ製のレリーフが飾られている。
テーマは、左「歓喜 高校球児」/中央「伝統の継承 蔦に彩られた甲子園球場」/右「感動のリーグ制覇 阪神タイガース」
メモリアルウォール
正面のレリーフから、一塁側(右手)に歩いてみよう!
阪神タイガースの永久欠番の3選手(藤村富美男選手・村山実選手・吉田義男選手)の名前や功績が刻まれたレリーフや監督を初めとする主力選手のパネルが飾られたメモリアルウォールなどが見えてくる。
ミズノスクエア
メモリアルウォールを右手に進むと一段高くなった「ミズノスクエア」が見えてくる。
イベントスペースにもなっているが、このスクエアにいくつかのモニュメントが飾られているのでゆっくり見てみよう!
1934年11月2日〜12月1日、全米選抜チームのキャプテンとしてベーブルースが訪日し、阪神甲子園球場にも来ている。
ベーブ・ルースの来日は、日本に野球ブーム作るきっかけとなり、この年の12月には「大日本東京野球倶楽部(現読売巨人軍)」が設立され、翌年には「大阪ターガース(現 阪神タイガース)」が設立された。
ベーブルースが亡くなった翌年の1949年に、彫刻家松岡阜さんがレリーフを作り、今は甲子園球場のミズノスクエアに「野球王ベーブ・ルースの碑」として設置されている。
『吠える虎の象』は、阪神タイガース50周年(1985年)記念にアサヒビール株式会社から寄贈され、1985年5月4日に甲子園駅前に設置された。
制作者は西宮在住の彫刻家・柏木秀峰氏。
2018年に駅前にあったこの像を、ミズノスクエアに移設した。
今では、一塁側の阪神の応援団を後ろから力強く支えている。
『吠える虎の象』に関する小ネタはこちらから➡
金本知憲氏の904試合連続フルイニング出場の世界新記録と、1492試合連続フルイニング出場の世界記録をたたえる世界記録記念碑が2013年に設置された。
レンガメッセージ
バックスクリーンの外側あたりには、レンガメッセージが敷き詰められている。
2010年3月のリニューアル工事完了に伴いレンガメッセージが募集され、球場外周南側にファンの思いが込められたレンガが設置されている。(西宮流のレンガもある!)
ご自分のメッセージレンガを探す人の姿に出会うことも・・・・・。
ツタの里帰り記念レリーフ
ツタの伐採から始まった甲子園球場の「平成の大改修」(2007年~10年)は、それより以前に全国の高校に贈られていた甲子園球場のツタの中から成長のいいものを再び球場に里帰りさせた。
里帰りに参加した高校名が刻まれている。
野球塔と歴代の優勝校の刻まれたゲート
球場に来る団体バスは、球場の少し南の海に近いところに停まるが、そこから球場に入るのは、南東にあるこのゲートとなる。
改修と共に、昔あった野球塔が復活し歴代の優勝校名が刻まれたパネルが飾られているゲートができた。
このゲートのすぐ外は、春夏の優勝校名が刻まれた車止めの並ぶ「優勝校通り」がある。
甲子園大運動場のモニュメント
時計塔を右手に見ながら少し進むと、70周年を記念してつくられた「甲子園大運動場」のモニュメントがある。
甲子園球場はアメリカのニューヨークジャイアンツなどのグラウンドなどを参考にして建設されたが、甲子園大運動場として建設された当時の姿をとどめている。
スコアボード型モニュメント
2021年、甲子園筋に接するフェンスが取り払われ、レフトスタンド外周に「大林スタイル」と呼ばれる広場ができ「スコアボード型モニュメント」が設置された。
2021年に設置されたこのモニュメントは、見る角度によって文字が変わる。
甲子園球場100周年までのカウントダウンも行われている。
おまけの話~敷地内のマンホールの蓋のデザイン~
マンホールというのはいろんな種類のものがあるが、その中でも下水のマンホールの蓋のデザインは「マンホールカード」になっているものもある。
西宮市でも、甲子園球場と酒蔵、桜の花びらをデザインしたマンホールの蓋があり、マンホールカードにもなっている。
西宮のマンホールカードは、球場からすぐ近くのららぽーと甲子園2Fのクリエートにしのみやで配布中➡︎
マンホールカードの記事はこちらから➡
甲子園球場の敷地内の下水のマンホールの蓋は「KOSHIEM|N STADIUM」と書かれた甲子園球場特製のデザインになっている。
マンホールカードにはなっていないが、見つけたら記念写真を撮ろう!!
甲子園歴史館の見どころ
2010年3月に球場のリニューアルと同時にオープンした『甲子園歴史館』 は、2022年3月3日、甲子園プラスの建設と共に再びリニューアルしてお目見えとなった。
今の歴史館は『甲子園プラス』と『球場側』と両方に分かれて映像設備なども新しくなり、さらに体験コーナーも充実しワクワク感が大きい施設になっている。
大きく分けて『甲子園プラス』 側が、タイガースコーナー。
『球場側』 には、高校野球コーナーを中心に、アメフトや甲子園球場の歴史のコーナーもあり、バックスクリーンビューのところで折り返す。
甲子園歴史館の記事はこちらから➡
甲子園球場と人文字の話
「人文字」と言えば、高校野球の時のアルプス席の応援を思い出される。
強豪校の大規模な人文字もあるが、それぞれの高校が工夫した人文字を見るのも高校野球観戦の一つかもしれない。
平成12年(2000年)から西宮青年会議所メンバーが中心となった「西宮をPRする会」が立ち上げられ、その年の夏から、開会式で歓迎の意味も込めて「西宮」の人文字を行うなど地域団体や行政と連携し、西宮をアピールする取り組みを実施していた。
『ようこそ』『西宮市へ』『甲子園へ』『ファイト』という4つのフレーズをつくる。一文字を作るのに約200人が必要だった。
甲子園球場が西宮にあり、市民として歓迎していることをPRしようと始まったこの取り組みだったが、残念ながら2018年で休止となっている。
2023年8月1日に行われた「100周年カウントダウンイベント」では、阪神甲子園球場が中心になって、総勢約4,000名の西宮市在住の小中学生と保護者が参加し「こうしえん・あと1年で・100年へ」という100周年への人文字メッセージが発表された。
動画はこちらから→
甲子園球場とスポーツやイベント
「野球の聖地」と呼ばれる甲子園球場だが、誕生した時は野球だけでなく他のスポーツも開催するということで、名称は「甲子園大運動場」としてスタートしている。
今も12月にはアメリカンフットボールの学生日本一を決める甲子園ボウルが行われるが、これまで陸上競技やサッカー、ラグビー、スキーのジャンプ大会なども開かれたようだ。
アルプススタンド下の空間には、体育館や温水プールがあった時代もある。
甲子園球場と言えば西宮市のランドマークでもあるが、市民との結びつきも多い。
その一つが、公立の小中学校の連合体育大会が球場で行われること。
昭和26年に中学の連合体育大会(中連体)が、昭和32年には小学校の連合体育大会(小連体)が始まっている。途中で、甲子園球場改修の年など、開催されないときもあったが現在まで続きている。
小連体・中連体という形で、甲子園の土を踏めるのは宮っ子の特権!
二つ目は、2020年から始まっている甲子園球場での「二十歳を祝うつどい(成人式)」。
県立体育館で行われていた式典が、球場に場所を変えた。
様々なスポーツイベントも開催されているが、今も定期的に開催されているのが甲子園ボウル。
関東と関西の学生の学生日本一を決める試合が、12月に行われてきた。
2020年までは、甲子園ボウルの学生の勝者が、東京ドームでのライスボウルで社会人に挑戦してきたが、2021年からはライスボウルは社会人チーム同士の戦いとなっている。
大学生の試合としては、この甲子園ボウルが最終戦となる。
球場では、アーティストのライブも開催されてきた。
様々なアーティストのコンサートが開催されてきたが、TUBEは実に25年続いた。
2022年に西宮出身のあいみょんが甲子園球場で歌ったことは、ご本人だけでなく西宮市民としても特別感があった。
100周年となる2024年は、TUBEが9年ぶりに真夏の甲子園球場で開催予定。また11月にはデビュー35周年を迎える東京スカパラダイスオーケストラによるライブも開催予定だ。
ロケ地としての甲子園球場
甲子園歴史館に中には大迫力の漫画コーナーもあるが、甲子園球場は様々な作品(漫画・アニメ・文学・ドラマ・映画)の中にも多く出てくる。
映画やドラマの撮影は、なかなか取材できるタイミングがないので記事としてはあまり資料を持っていないが、2014年の映画「アゲイン 28年目の甲子園」では映画のPRの為に中井貴一さんと柳葉敏郎さん、波瑠さん、工藤阿須加さんの4人が来られていた。
古関裕而さんをモデルにした2020年のNHKの朝ドラ「エール」では、ドラマの終盤で佐藤久志役の山崎育三郎さんが甲子園球場で「栄冠は君に輝く」を熱唱されたシーンは胸が熱くなった。
最近では、鈴木亮平さん主演のドラマ「下剋上球児」の最終回を、甲子園球場でロケされている。
この時は、主演の鈴木亮平さん自身もSNSでエキストラ募集を呼び掛けられていて、多くのエキストラが集まったという。
甲子園生まれ、甲子園育ちの作者・磯見仁月さんが描く野球漫画『ナックルダウン』は、甲子園を目指す小学生たちが主人公だった。
さすがに地元出身の方とあって、背景の風景が綿密に描かれていて本を片手に聖地巡礼をしたくなる作品だったが3巻で終了してしまったのがさみしい。
アオダモの話
アオダモは北海道から九州までの山地に広く分布している落葉広葉樹。街路樹や公園に植樹されることも多い木。
ミズノスクエアにも2019年に植樹されているが、アオダモはバットの材料となる木。
ボールパーク化構想の中で、甲子園駅から球場までの「タイガースロード」として整備されたところにもアオダモの木が植えられている。
鳴尾浜臨海公園北地区の中にある「白球の森」は、昭和58年夏の高校野球・第65回大会の記念事業として、全国47都道府県の代表校49校がそれぞれ郷土ゆかりの木を持ち寄り、昭和59年~昭和60年8月に完成した森。
そこにもアオダモの木は植えられている。詳しくはこちらから➡
西宮流が勝手に呼んでいる「優勝校通り」
球場の南側(高速道路とは反対側)の東西の道路には、 春夏の高校野球の優勝校のネームプレートが入った車止めが並んでいることはあまり知られていない。
道路の北側には夏の大会の優勝校の車止めポールが1915年の京都二中(京滋)が最初で東から西に並び、南側には春のセンバツの最初の優勝校・1924年の高松商業(香川)の車止めから始まっている。
この通りを、西宮流(にしのみやスタイル)では『優勝校通り』と勝手に名付けた。
この車止めは、平成元年に西宮市が高校野球というイメージを取り入れて整備を行った。野球のボールをデザインした車止めを、南北両側に約170本設置。平成2年からは、胴体部分に春夏、それぞれの優勝校名を記したホームベース型のプレートの取り付けが始まった。
ただ、甲子園球場がリニューアルして甲子園球場の南東のゲートに優勝校名を刻むスペースができたこともあり、 2008年の春の沖縄尚学と2008年夏の大阪桐蔭高校で車止めのポールは終わっている。
ポールに刻まれた高校名を見ながら街を歩いてみるのも楽しい!!
甲子園に来たら、お土産を買って帰ろう♪
甲子園球場や駅前にタイガースショップがあったり、高校野球の期間は高校野球グッズが販売される。
「KOSHIEN」と大きく書かれた袋そのものも、やっぱりお土産になる。
また、駅前のコロワでも西宮のスイーツが売られているコーナーもある。ベルンコロワ甲子園店も出店している。
スイーツというと神戸!のイメージも大きいが、修業したパティシエがこぞって店を構えるのが西宮の特徴でもあり、目の肥えた(舌の肥えた)グルメに育てられた西宮のスイーツのレベルはとても高い。
西宮市内で売られている「甲子園」にちなんだスイーツを集めてみた。(但しお店によってはラインナップが変わっている場合がありますので、事前にご確認くださいね。)
西宮流(にしのみやスタイル)では、甲子園球場をモデルにしたダンボールクラフトの風景箱(大小の二種類)も販売している。
現在販売は、こちらのネットショップで➡
<西宮北口駅ちかくにあるジュンク堂西宮店でも販売中>
甲子園球場への行き方
甲子園球場の住所; 兵庫県西宮市甲子園町1−82
※阪神甲子園球場には駐車場がありません。
※球場周辺は全面駐車禁止です。
甲子園球場には電車、バスなど公共交通機関をご利用ください。
阪神電車をご利用の場合
阪神梅田駅から乗車(甲子園駅下車)
- 特急 約12分
- 快速急行 約15分
- 急行 約15分
- 準急 約30分
- 普通 約35分
(特急が甲子園駅に停車しない場合は、尼崎駅でお乗換えください。)
阪神三宮駅から乗車(甲子園駅下車)
- 特急 約20分
- 快速急行 約20分
- 急行 約20分
- 普通 約45分
JRをご利用の場合
甲子園口駅で降りて、南側の駅前から阪神バスで阪神甲子園バス停下
≪甲子園口駅から阪神バスで約10分(4系統のどれでもOK)≫
※JR大阪駅から
- 普通電車 約12分
※JR三ノ宮駅から
- 快速 約18分(途中、芦屋で普通に乗り換え)
- 普通 約25分
阪神バス
・阪神バスのホームページをご覧ください
リムジンバス
大阪(伊丹)空港 ➡ 阪神甲子園駅 約25分
関西空港 ➡ 阪神尼崎駅 約52分 (阪神電車で甲子園駅まで)
関西空港 ➡ 阪神西宮駅 約55分 (阪神電車で甲子園駅まで)
お車をご利用の方へ
甲子園球場の付近に公共駐車場はありませんが、阪神西宮駅に市役所前の公共駐車場があります。詳しくは、西宮市のホームページをご覧ください