外山 脩造(とやま しゅうぞう):越後出身で幕末から明治を生きた衆議院議員、官吏、実業家。
大正5年に亡くなっている。
初代・日本銀行大阪支店長や横浜正金銀行取締役を経て、アサヒビール>>の創業にも関わり、阪神電鉄初代社長。関西の経済界を築いた人物。
甲子園駅前にあったという外山脩造氏の銅像は、いつできたのかはわからないようだが、戦争中の金属供出令で上の外山氏の銅像が無くなり、長らく台座だけが残っていた。
昭和50年までは甲子園線の路面電車が走っていたから、その後のバスターミナルの整備の時におそらく台座も撤去されたのではないかと思われる。
昭和52年頃から54年頃まで、ちょうどこの台座があったあたりが「住宅展示場」となっていたことがあったので、この住宅展示場への改修時に無くなったと思われる。 住宅展示場の記事はこちら>>
銅像が無くなった台座は、その四隅につるつるの半球が飾られていて、その大きさから鳴尾に住む子供たちの格好の遊び場になっていたようだ。
その四隅の半球を、当時のこどもたちが『つるてんぴーか』と呼んでいた>>>という話は、西宮流に舞い込んだお問い合わせから知った。
また残っていた台座の形状から、戦後は多くの人が水が出なくなった噴水だと思っていたようだ。
阪神電鉄の初代社長であった外山氏だが、「タイガースの球団名は、外山氏の幼名『寅太』から生まれた」との説もあるようだ。
しかし、大阪タイガースが誕生したのは、外山氏がなくなって20年も経ったあとのことでもある。
外山氏はアサヒビールの創業にも関わった人だが、阪神タイガース創立50周年記念として、アサヒビール株式会社から寄贈されたトラの銅像が長く駅前にあったが、駅前整備と共に今は球場のミズノスクエア>>に移されている。
佐藤愛子>>が「これが佐藤愛子だ」の中で、ふるさと・鳴尾のことを書いているが、その中にこんな記述がある。
『・・・・・甲子園の駅の前の、阪神電車の創設者だという羽織袴の老紳士の銅像もいつか姿を消し、御影石の台座が陰気な冬の日を浴びで鈍く光っていた。』