阪神甲子園球場

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「野球の聖地」という言葉で語られる甲子園球場は、阪神電鉄所有の阪神タイガースの本拠地であり、高校野球の開催地。
1924年の夏の高校野球大会に間に合わせるために、突貫工事だったという。
1924年が 十干十二支の甲子年(きのえねとし)だったことらか、甲子園球場の名前になった。

1915(大正4)年に豊中球場で始まった全国中等学校優勝野球大会(現在の高校野球)は年々人気が高まり、球場が手狭になったことから1917(大正6)年の第3回大会からは、西宮市(当時は鳴尾村)の鳴尾運動場に場所を移したが、そこでも収容しきれなくなり、新しい球場を造る必要ができだ。
ちょうど廃川の枝川・申川跡地を取得していた阪神電鉄が現在の場所に建設した。

昭和38年当時の球場周辺

甲子園球場の歴史に関しての記事はこちら➡

プロ野球でフランチャイズ制が暫定導入された1948年から、大阪タイガース(現在の阪神タイガース)が甲子園球場を専用球場とし ている。

2007年秋~2010年春にかけて大きな改修工事が行われ、照明塔や銀傘が改修され、それまでのツタが一旦すべて取り除かれた。
2010年には外野席下に、甲子園歴史館がオープンした。
リニューアルを機に、雨水利用や銀傘上の太陽光パネル設置、ビールのカップリサイクルなど環境にやさしい球場を目指している。

甲子園歴史館の中には、甲子園球場を題材にした漫画のコーナーもあるが、人気のエリアとなっている。

2018年の甲子園歴史館の記事はこちら➡

平成の大改修に伴って、外野席側の外周にあるレンガメッセージが募集され、西宮流も応募したが、2019年11月末をもって約束の10年の期間が満了した。
今後は、補修や改修などでなくなっていく場合もある。

甲子園球場は、野球の専用球場ではあるが、アメリカンフットボールの甲子園ボウルやアーティストのライブが行われたり、西宮市の公立の小中学校の連合体育大会(小連体・中連体)が行われ、さらに2020年からは成人式もここで行われることが決まった。

第一回小学校連合体育大会(小連体)は1957年。
第一回中学校連合体育大会(中連体)は1951年。
  (但し 中連体は第二回目大会からが甲子園球場となった)

球場で他のイベントがある時には、ポールにその主催者の旗が掲げられるが、アーティストによっては シンボル旗を並べて掲揚していることもある。

西宮流(にしのみやスタイル)では『西宮風景箱』というクラフト商品を企画販売しているが、甲子園球場の風景箱もライセンスを取って販売している。
販売は、ネットショッピング➡ と ららぽーと甲子園内のクリエートにしのみや➡

甲子園球場バージョンの風景箱

甲子園球場の南側の東西の通りにある車止めは、過去の優勝校の名前が埋められている。
道の両側には、それぞれ春夏の歴代優勝校が東から西へと続いているが、子支援球場の平成の大改修において、歴史館前のゲートには、優勝校の名前が掲げられるしペースができたとこもあって、この車止めは増設されなくなっている。

西宮流(にしのみやスタイル)では、この車止めが並ぶ東西の道路を『優勝校通り』と勝手に名付けている。

この車止めに関する記事はこちら➡

2008年の夏の高校野球大会から「西宮をPRする会」が中心となって、開会式での歓迎人文字やシャッターサービスなどの活動を続けてきたが、会のメンバーの高齢かなどの問題から2019年3月で組織が解散された。
シャッターサービスについては、春夏の大会主催者が引き継いでくれることになったが、人文字に関しては今後の継続協議となっている。
2019年の101回大会での人文字は、残念ながら開催されなかった。

甲子園球場関連の記事はこちら➡

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