「優勝校通り」をご存じですか?
地図を広げても出ていません。
実は、私たち「西宮流編集室」が名づけたものだから。
甲子園の伝説(レジェンド)が、ここに・・・
甲子園球場の南側を東西に走る市道。
この道には春夏の高校野球の優勝校のネームプレートが入った車止めが並んでいる。
しかし、この道には名前がない。
西は「酒蔵通り」、東は「鳴尾銀座」と呼ばれるが
この区間だけ名前がない
という話を昨年の甲子園特集取材で知り、勝手に「優勝校通り」と命名させてもらった。
球場の南側は駅とは反対側になるので、市民でもこの車止めを知らない人が多い。
案外、地方の出場校の選手や応援団の人のほうが、わざわざ探し出して記念撮影したりしているようだ。
「高校球児の街」をPRする、西宮市のアイデア
この車止めは、平成元年、西宮市が高校野球というイメージを取り入れて整備を行った。野球のボールをデザインした車止めを、南北両側に約170本設置。平成2年からは、胴体部分に春夏、それぞれの優勝校名を記したホームベース型のプレートの取り付けが始まった。
道路の北側が、夏の大会の優勝校。道路の南側には、春の大会の優勝校のポールが並ぶ。
ポールの始まりは夏が1915年、京都二中(京滋)。大会名は、「全国中等学校優勝校野球大会」となっている。春は1924年の高松商業(香川)が始まり。大会名は「全国選抜中等学校野球大会」だ。
毎年、夏の大会終了後、春夏の優勝校のプレートが取り付けられる。
年を重ねるごとに確実に増える優勝校。選手達のためにも、市民のためにも、このステキな車止めが増えていくことを願っている。
プレートを見ながら歩いてみると、数多くの懐かしい名前がずらり。高校野球の歴史の長さを、しみじみと感じる。
91回大会(2009年)の兵庫県の代表校は関西学院。なんと70年ぶりの出場だったが、優勝校通りには、夏の選手権の第6回大会(1920年開催)と春の選抜の第5回大会(1928年開催)と堂々2本のポールが建っている
正しい甲子園球場の入り方-西宮スタイル推奨!
駅から(あるいはバス降車場から)人の流れにまかせて甲子園球場に入ってしまうのではもったいない。
ちょっと回り道して、
甲子園球場のある街並みを
楽しんでみませんか。
西宮流編集室スタッフが推奨する「正しい甲子園球場の入り方」もぜひ一度お試しあれ!
このコースを歩いて甲子園球場に入るようになってから、不思議と観戦試合(もちろん阪神タイガースの応援)は勝ち試合。
なので、勝手に、「正しい入り方」などと言っているのだが、勝敗は別として(すみません、保証はいたしかねますので)、甲子園球場を外から眺めながら歩くひとときは、絶対おすすめ!
ついでに優勝校通り界隈のお店を探索すると、「野球の街」を実感できて楽しさ倍増。
阪神甲子園駅から来られる場合
甲子園球場の東側を甲子園筋に沿って歩く。
甲子園八番町の交差点で、球場に沿って右折。
甲子園八番町の交差点から西に向かって優勝校のポールが始まっているので、見ながら優勝校通りを歩く。
時間と体力と相談しながら引き返してきて、甲子園素盞嗚(すさのお)神社でお参りをしたら、さあ、球場に入ろう!
団体のバスで来られる場合
甲子園八番町の交差点まできたら、直接球場入りせずに、手前の優勝校通りを歩いてみよう
甲子園球場に向かって歩く。球場が見えたその角が甲子園八番町の交差点。そこを左折。
ここから西に向かって優勝校通りのポールが始まっている。
甲子園球場のバックスクリーンを見ながら優勝校通りを歩くとわくわくと応援モードに。
時間と体力と相談しながら引き返してきて、甲子園素盞嗚(すさのお)神社でお参りをしたら、さあ、球場に入ろう!
リニューアルした甲子園球場の、優勝校通りに面した南側には新しく野球塔が立った。 初代の野球塔は、1934年(昭和9年)に造られ、歴代の大会優勝校名や選手名が銅版に刻まれていたが、第二次世界大戦中に空襲などで崩壊。その後、1958年(昭和33年)には、「選抜高校野球塔」が建った。しかし、老朽化が目立ち、今回のリニューアルと共に一新された。柱には春・夏の大会の歴代優勝校名が刻まれた銘板が設置されている。 ここは、選手や応援団が甲子園球場に入ってくる通り道。きっと、歴史を感じながらここをくぐっていくことだろう。
甲子園球場の大改修に伴って、歴史館側のゲートに優勝校甲子園球場の大改修に伴って、歴史館側のゲートに優勝校名を掲げるスペースが確保できたことで、西宮流が呼んでいる「優勝校通り」の車止めの増設は止まっている。