昨年、38年ぶりに日本一になった阪神タイガース。2024年は、チャンピオンフラッグを掲げて連覇をめさす。
その日本一になった阪神タイガースを応援してくれているのが、現在、甲子園球場のミズノスクエアから力強く吠えている『猛虎像』。
調べてみると面白い話が出てきたので記事にしておこうと思う。
この猛虎像はタイガースの創設50周年を記念して、アサヒビール株式会社が寄贈したもの。
寄贈された時は球場の平成の大改修まえで、甲子園駅前にあった。
現在のスマートな駅前とは違って、旧申川の堤防の名残があり、松やエノキなどの木々もまだあった頃のことだった。
『猛虎像』はいつからここに?
『猛虎像』は、阪神タイガース50周年(1985年)記念にアサヒビール株式会社から寄贈され、1985年5月4日に駅前に設置された。
当時の駅前は、旧申川の名残の土手があり、土手の上には土産物屋や飲食店なども並んでいた頃だったが、その後、甲子園球場の平成の大改修があった2018年にミズノスクエアに移され現在に至っている。
像の大きさは、高さ1.5メートル、長さ3メートル。
猛虎像の製作者・柏木秀峰氏について
この記事を書くきっかけとなったのは、「西宮流の記事の中に、猛虎像のことが書かれていますが、作者の柏木秀峰氏について詳しいことをご存知ありませんか?」という西宮流の読者からのお問合せだった。
その時点では『まちなかアート』のこのページ➡︎以上の情報を持っていなかったが、柏木秀峰氏の詳細は、ネット上にもあまりなかった。
その後いろいろ調べてみたら、自分が書いていた岡太神社の記事➡︎に「柏木秀峰氏」の名前を見つけた。
すぐに岡太神社の宮司さんにお聞きしてみたが「狛猪は祖父の代のことなので詳細はわからないが、その頃、神社のガレージを仕事場にされていたのを覚えているので、この近くにお住まいだったんじゃないでしょうか?? 球場の猛虎像がそうなんですね?!見に行ってきます!!」
さらにその後、毎日新聞の記事が見つかり、柏木秀峰氏が西宮在住の彫刻家であり、この像の制作にあたっては各神社へ優勝祈願をされたことや、阪神パークの虎も参考にしたことなどが書かれていた。
そんな柏木さんの虎の像のおかげで、阪神タイガースはその年(1985年)見事日本一となった。
おまけに、優勝を決めた11月2日は、なんと柏木さんの誕生日であったという。
ちなみに、秀峰さんのご子息/柏木咲哉氏もアーティストで、絵や詩を描かれているようだ。
そのご子息が、インスタグラムの中で猛虎像やお父様について語っておられた。➡︎
改めて柏木咲哉氏から、コメントをいただいた。「猛虎像は私が小学5年生の頃に製作されており、私はその頃ちょうど不登校をしており、その只中に西宮市小松南町の自宅の庭(ガレージ)で父により製作されたものです。狭い作業スペースで父が苦心しながら骨組み等の作業を進めていた事を覚えています。奇しくも父の誕生日に日本一が決まり、父も選手と飲みに行ったり交流があり、当時の選手達の寄せ書きサインを貰って来てくれたりと、私も恩恵を受けた事を懐かしく思い出します。」
アサヒビールと阪神タイガースの関わり
球団創設50周年記念に猛虎像を寄贈したアサヒビールと阪神タイガースの繋がりは、その球団の創設にまで遡る。
1934年12月26日に創設された「大日本東京野球倶楽部(現読売ジャイアンツ)」のオーナー・正力松太郎氏が阪神電気鉄道に声をかけ阪神タイガース(当時は大阪タイガース)が誕生したが、阪神電鉄の初代社長・外山脩造氏は、アサヒビールの創業にも関わっておられた実業家だった。
甲子園球場で、永らくアサヒビールが独占状態だったのもこういう背景が影響していたのかもしれない。
一塁側のファンの後ろから吠えて応援
駅前から引っ越した球場のミズノスクエアは、一塁側にある、
そこに設置された猛虎像は、長い尻尾をピーんとなびかせ、一塁側のファンの声援をさらに鼓舞するように大きな口をあけて力強く吠えている。
直接ヘラで製作していくという柏木秀峰氏のユニークな手法で作られた迫力のある吠える虎の像が、岡田監督の今年の目標である『連覇』をきっと応援してくれることだろう。