東西に山陽道・西国街道が通り、城があったあたりから真っ直ぐ南へ下がると戎夷宮(西宮神社)のある西宮町へと続く交通の要所であり、麓との高低差は約10mある高台に越水城があった。
瓦林城主・瓦林正頼の手によって、永正12〜13年(1515〜1516年)に築城されたが、1539年に越水城に 三好長慶>>が18歳の時に入城している。
その後、織田信長の命により廃城となった。
城があった場所からは少し西の方にある現在の大社小学校の南東の角に、越水城址の碑が建てられている。
昭和11年の吉田初三郎氏の西宮市鳥観図には、大社小学校の横に「越水城」が書き込まれている。➡
この近くには、越水井戸もある➡︎
「麒麟がくる紀行」で西宮が紹介されました(2020年2月23日)➡
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